分かってもらえなくて寂しいという気持ち

先日の彼女とのメールでのやり取りでのことだった.僕のメールに対する返信の部分で,彼女が僕の言葉を茶化しているような内容があって,それを読んだ僕は内心ムッとしてしまったのだ.僕は言葉に対する拘りがかなり強い方で,だから相手に何かを伝えようとするときには言葉の組み合わせに相当の注意を払う.そんな僕の言葉を冗談の種にされたのが,気に入らなかったのだ.

だが,そんな冗談で怒るのは普通じゃない気がした.彼女だって別に僕を怒らせようとしてそんな冗談を言ったわけではないはずだ.だとしたら,今の「僕が怒りを感じている事態」というのは,僕の問題だということになる.

僕は何故怒っているのだろうか.僕にとて大切な言葉を,彼女に軽く扱われたように感じたからだ.だが今の事態は言葉を大切にしているというよりは,神経質になっていると言った方が正しい気がする.では何故僕は,自分の言葉に対してそんなに神経質になってしまったのか?言葉は慎重に選ばないと,伝えたいことが伝わらないと思っているからだ.ならば,どうして僕はそこまで「伝える」ことに拘っているのか?それは・・・

伝わらなかったら,分かってもらえなかったら寂しいからだ.そして伝わらないことが寂しいと感じるのは,伝わらないせいで寂しい思いをしたことがあるからだ.傷付いたことがあったからだ.

そこまで考えたところで,不意に過去の記憶が蘇ってきた.子供の頃の僕は,自分の要求すら言葉で言うのが苦手だった.それで,父親にしょっちゅう怒られた.「自分の要求くらいちゃんと言えるようになれ!」と.でも僕が何とか勇気を振り絞って口にした要求に対して,父は「あかん」と言った.ちゃんと言うたのに何であかんねん,と僕は癇癪を起こし,すぐさま父に「バカ!短気は損気,怒ったりするな!」と怒られ,パニックになって泣くと「男が泣くな!」と更に怒られる.そんなことが,何度もあった.

他にもいくつか,伝わらなくて,分かってもらえなくて傷付いた体験がいくつか思い起こされた.だから僕は二度とそういう思いをしなくて済むように,一生懸命言葉を身に付けようとしてきたのか・・・

そういうことか.だから僕は自分の言葉に神経質なほど拘ってしまい,彼女の冗談を笑って済ませることが出来なかった.僕が感じた怒りの裏には,実は「分かってもらえなくて寂しい」という感情が,傷付いた記憶が,隠されていたのだ.

怒りは収まった.それどころか自分の反応の根本的な理由を理解することが出来て,却って気分が良かった.僕は次のメールで,彼女に「ごめん,昨日の冗談だけど,実はちょっと傷付いた」と書き,続けて過去の記憶についても記した.彼女は二度とやらないと約束してくれたし,もし彼女がまた似たようなことをしたとしても,そのときには僕は落ち着いて対処できるだろう.

もしも僕が「何でそんな冗談言うんだよ!」と怒っていればケンカになっていただろうし,「大した事じゃない」と思って怒りを抑え込んで原因を探ろうとしていなかったら,感情はどこかで燻り続け,やがて繰り返されてるうちに爆発してしまうことになったかも知れない.