怒りは感情の蓋になっている

昨日の記事に関連して.
心理学の世界では,怒りとは感情の蓋であると言われているらしい.怒りという感情の下には,寂しさや哀しさが,本当の感情として隠れているというのだ.
解ってほしい人に解ってもらえない,助けてほしい人に助けてもらえない,愛してほしい人に愛してもらえない,そういう時は悲しいし,寂しいものだ.だが,僕らはそういう感情を「怒り」によって蓋をしてしまう.誰も寂しさや哀しさを感じたくないし,その気持ちを素直に表現しても,受け入れられなかったら傷つくからだ.だから僕らは,自分の気持ちを素直に言う代わりに,怒りによって相手を非難することで自分を守ろうとする.

しかし言うまでもないことだが,怒りによるコミュニケーションほど効率の悪いものはない.そもそも自分の気持ちが隠れてしまって相手に伝わりにくいし,「私が怒っているのは君のせいで,君は私の要求を満たすべきだ」という感じになり,言われた方はまるで自分の行動の決定権が相手にあるように感じてしまう.

第一,怒りによって相手に言うことを聞かせても,感謝の気持ちが起こらないのだ.「何で分からないんだよ!俺は○○が嫌いだって言ってるだろ!」と言うのは,「お前は○○すべきではない,してはいけない」というメッセージとなってしまい,相手がそれをしないことが「当然」という意味になってしまう.出来て当然のことに対しては感謝なんて生まれないし,出来なくて非難されるような状態では,相手はしんどくなってしまう.
だが,相手の気遣いが足りないと怒る自分の本当の感情は,「まるで大事にされていないみたいで寂しい」ということである.その本当の気持ちに従えば「そこは気をつけてもらえないと,何だか自分が愛されていないみたいで寂しくなってしまう」という,「〜して欲しい」というメッセージになる.そうすれば,頼みを聞いてくれた相手には感謝することが出来るし,相手も気分が良い.


怒ってはいけない,というのではない.怒りという感情はを抑圧しようとしても,どんどん溜まって強くなってしまうからだ.そうではなく,怒りを感じたときには自分の感情をチェックし,その下に隠れている「分かって欲しい」「助けて欲しい」「愛して欲しい」という気持ちを探し出すことだ.怒りに負けると,自分の寂しさや悲しさを社会常識や道徳論で武装して「べきだ論」を押し付ける羽目になる.それよりも,怒ってしまったときは「本当は自分は何を感じているだろう」「本当は何を相手に伝えたいんだろう?」と振り返ってみるところに,気持ちを素直に伝えるコミュニケーションの秘訣があるのだ.