一切皆苦

ここ最近の文章を書きながら,人間の価値観や個性や拘りが,どれほど「子供時代の抑圧・傷ついた経験」に依っているのかを改めて確認した.
愛して欲しい人に愛してもらえなかった寂しさ,助けて欲しい人に助けてもらえなかった悔しさ,分かって欲しい人に分かってもらえなかった悲しさ,そういう経験を元に,人は自分を作っていく.自分が作られていく.愛してもらうために自分の欲しいものやしたいことを我慢するようになったり,他人に振り回されて傷つかないように,甘えや弱さを許さないようになる.自らに,色んなことを「禁止」していくのだ.

だが,この愛されるために,傷つかないために手に入れたはずの方法が,必ずまた新しい「苦」を生み出す.自分の欲求を抑えていれば余裕がなくなって疲れてしまうし,他人を頼る人間を見ると憤慨してしまう.そしてまた,新たな「禁止」を付け加えようとする.「こんなことではいけない」と.これでは,どこまで行っても,苦である.全く,「人生は全て苦しみである」と説いた仏陀はどこまでも正しい.

だが,仏陀はこうも言っている.「苦しみの原因を取り除けば,苦しみは消える」と.苦しみに出会う度に「禁止」を増やしていたのでは,苦しみの原因を次々と増やしていっているようなものだ.大切なのは「原因を取り除く」こと.そう,禁止するのではなく,「許可」するのだ.今まで自分で自分に禁止していたことを,許可することが大切なのだ.

確かに,そう簡単に出来ることではない.なぜなら,その「禁止」には過去の「傷ついた記憶」が深く関わっているからだ.今の苦しみは「禁止」が原因だが,その「禁止」の原因は,過去の苦しみであり,そこにはまた「禁止」がある.そうやって遡っていくうちに,必ず最初の「傷ついた記憶」に辿りつくだろう.それを消すことが出来たなら,少なくとも「傷ついた記憶で無くす」ることが出来たなら,そこから派生する全ての禁止も消え,苦しみも消えるだろう.

一昨日の日記で言えば,父親に叱られて泣いている子供の僕に,「上手く言えなくてもいい」「欲しがってもいい」「怒ってもいい」「泣いてもいい」と,許すことなのだ.最初の原因さえ消してしまえば,二度と同じことで苦しむ必要はない.

ここに,「どのような自分があり得るか」を考える可能性が開ける.「○○を禁止している自分」があるならば,「○○を許可した自分」があってもいい.禁止を外せば,それだけ選択の幅ができ,心にも余裕が生まれ,可能性も広がるのだ.