最後まで立たせるとしたら誰ですか.

2ヶ月ほど前のことだろうか.ラボの院生である中国人の女の子に心理テストだと質問をされた.
「あなたとあなたの奥さん,あなたの両親,あなたの妹とその夫の6人で一緒にバスに乗ったら,空いてる座席が4つありました.あなたは誰を座らせ,誰を立たせますか?」

僕は自分と,妹の夫,若い男二人が立つと答えたが,隣でそれを聞いていたフェンが「自分と奥さん」と答えたのにはビックリした.

「じゃあ妹の夫はいなかったことにして,5人でバスに乗ったら空席は3つでした.自分以外に誰を立たせる?」ときたので,

僕と親父かな,まあ親父が60越えてたら妹.ああなるほど,こうやって一人ずつ削っていって,最後に残るのが自分の中のプライオリティーってことだと分かってしまったので

「じゃあ次に・・・」ときたところで,僕の奥さんが最後だよ,と答えたら

「You're great!」と言って去っていった.実際に僕の母親を差し置いて座るなんて,奥さんの方が嫌がる気はするが.


しかし,フェンの解答は典型的だなと思った.人は近しい人間ほど,「自分」として扱ってしまう.誰かが我慢しなければいけないとき,真っ先に自分が,と名乗り出るのはまあ常識的だと思われるが,同時に近しい人間にまで我慢を強要していると,いつかしっぺ返しを食らう.もちろん,そういうことが礼儀上必要な場合があることも,紛れもない事実だが.よーするに

・自分と,自分に最も近い人間に我慢をさせて他人に譲る.
・自分が我慢しても,大切な人には分け前が回ってくるようにする.

のバランスが大切なのだが,多くの人(特に男は)は,前者のマニュアルで一本化してしまうことが多い.「自分が我慢すれば円満にいく」から「お前が我慢すれば済むことだ」ってね.


あと,それほど親しくない人に対しては礼儀に気を遣い,親しい間柄では失礼な言葉遣いでもOK,というのは当たり前だが,逆に親しくない人に対しては幾らでも褒め言葉を使えるのに,近しい友人に対して褒め言葉や感謝の言葉を述べるのが恥ずかしいのはどうしてだろうか.でも,そこで本当に大切なことを見失ってはいけないんだよね.「そういうことを敢えて言わなくても分かり合える関係」って人は言いたがるけれど,その実「そういうことを一度も言ったことのない関係」ってどうなのよ?