とはいえ,僕にとってはちょっとした節目

そんな僕も来月11日に30歳と相成るわけだが,個人的にはそこにちょっとした意味がある.親父が死んだのが僕が15になった3月だったのだ.つまり,今までの僕の人生においては親父が生きていた時間の方が長かったのだが,来月を境にして不在の時間の方が長くなるのだ.当たり前のことなんだが,不思議な気分である.もうそんなに経つのかという思いと,まだそれだけしか経っていないのかと言う思いと.

親父の死もそうだが,親父そのものの存在も,僕と僕の人生に計り知れない影響を与えてきた.良い意味でも,悪い意味でも.そしてその影響は,今でも絶え間なく続いている.確かに親父はもういない.だが僕は死ぬまで親父と無関係ではあり得ない.それは逃れようとしても逃れられないとか,そういうことではない.「親父と関わっていない自分」というものが存在することの可能性がゼロであるということだ.親父の背中を見るにせよ,親父の考え方を否定するにせよ,そういう関係性の中で初めて「僕」というものが規定可能になるわけだ.

人は死んでも,死んだ人間との関係性は残る.「死んだら全て終わり」では「ない」ということなんだが,そんなことを言ったレヴィナスって凄い人だよな.