進化の話+α

ミクシの生物科学コミュで,「科学vs宗教」という議論が巻き起こっている.議題も18世紀レベルなら,内容も18世紀レベル.ドストエフスキーくらい読んでから発言して欲しいもんである.でまー,僕も18世紀レベルの議論に参加して18世紀レベルに下がって楽しんでるんだが,自分のカキコの内容を晒してみることにする.

 自然突然変異の圧倒的多数が有害であるのと同様,ウイルスによる突然変異もほとんど有害であり,またウイルスそのものが宿主にとっては有害です...個体レベルではメリットは悲惨なほど低いですね.


 ところが進化レベルの時間スケールで見てみると,大多数が有害でも,たった一つの成功によって進化のドラマが起こるわけです.もちろんウイルスなしでも突然変異は起こるし,だから生物の進化も起こり得たでしょうが,ウイルスなしでは進化のスピードは減少し,したがってヒトも未だこの世に誕生していなかったことでしょう.つまり今僕がこうして存在し,mixi掲示板に書き込んで議論が出来たりするのは,部分的にウイルスのお陰だといっても差し支えないわけです.


 もう一つ,進化において大変にドラマチックなイベントとして「共生」があります.細胞内のミトコンドリア葉緑体が代表ですね.
原初の真核生物と原核生物は長い期間にわたって捕食⇔被食関係にあったわけで,つまりはずーっと敵同士だったんですが,あるとき何故か,好気性細菌が,真核細菌の内部に入り込んだまま,消化されることもなく,また宿主を破壊してしまうこともなく,生き続けるという出来事が起ったわけです.捕食⇔被食が起こった回数は恐らく天文学的な数字になるでしょうが,一度でもそういうことが起こると,その種は適応的優位に立ち,あっという間に広がります.そして,一旦そのような生物が生まれてしまうと,ミトコンドリアも宿主側も,お互いの存在なしには生存できなくなってしまいます.


 科学と宗教が共生を目指してはいけないのでしょうか.想像も出来ないかも知れませんが,科学の歴史なんて,ありそうもないことの連続でしょう.そう考えると不可能とは言えないかも知れませんよ.何回失敗しても,1回成功すればいいんですから.
尤も,共生が起こる前にどちらかが淘汰されて滅んでるかも知れませんし,或いは人類そのものが・・・

 人間は論理の生き物ではありません.進化の因果で,「感情と利害」の生き物として誕生してしまいました.ですからいついかなる時も客観的・論理的であろうとする態度は,必ずしも合理的とは言えないのです.特に政治的な場面では.だから先進国の憲法には「信教の自由」が明記されていなければならないのです.


 僕は,幸か不幸か「科学と共生した世界」に生まれ育ち,科学(技術)のメリットを存分に享受しながら育ってきました.僕はもう科学なしで生きていくことは出来ないでしょう.


 しかし,もし仮に僕サウジアラビアに生まれていたら,僕は科学ではなく宗教と共生することになったでしょう.今の僕から見れば宗教の教理がいかに不合理に映ろうとも,サウジアラビアで生まれ育った僕にとっては,信仰を奪われて生きていくことはできなくなっていたかも知れません.そのように生まれ育ってしまった僕にとっては,信仰を否定するような科学合理主義的な観点からの批判に対して,冷静に耳を傾けるなんて至難の業でしょう.


 僕が科学合理主義の恩恵を受け,その思考法を使いこなせるのは,現代の日本に生まれたという「偶然」に依っています.その偶然を以って他者を上から眺めるような真似は慎んだ方がよいのでは,と思うだけです.