電力会社と防弾ガラス

引越しにあたって,電力会社と契約をしなければならない.日本ではブレーカーに挟まってる関西電力やら何やらの番号に電話をすると,すぐに申込用紙を持ったおじさんが来てくれて,万事OKってな感じなんだけど.

今回,アパートの管理人が「ここに電話してくれればいいから」と言って電力会社の電話番号を渡された.電話をしてみると,住所と名前と電話番号とメールアドレスを聞かれ,「OK,明日から使えますよ」と言われたんだが,今朝メールをチェックすると電力会社からメールが届いている.
「他に質問しなければならないことがあるので電話するか,ローカルオフィスまで直接来てください」
何だよ,と思って電話して,再び名前と住所と電話番号を聞かれる.昨日言ったじゃない.
「あなた個人のアカウントを作らないといけないので,IDカードとScial Securityカードとリース契約の写しを持って直接ローカルオフィスまで来てください」
最初からそう言ってくれ.・・・と,まあそんなのはアメリカに住んでりゃ序の口である.


やれやれ,と思いながらグーグルマップで電力会社のローカルオフィスを検索して,言われたものを持って行く.オフィスは高級住宅が立ち並ぶ地区の一角にあって,建物の外観たるや,日本の電力会社とは比べようもないほどクールである.公社と民間企業の違いか・・・と思いながら中に入ってみると,外観からは想像できないほどの殺伐とした雰囲気にびっくりしてしまった.受付窓口は防弾ガラスで仕切られ,客との遣り取りは全てマイクとスピーカーを通して行われる.料金や証明書の受け渡しも防弾ガラスに小さく開けられた穴を通す.空港の入国審査の方が遥かにマシなくらいだ.


何でこんなに厳重なんだよ,と疑問に思ったが,そういえばこの場所で電気料金の支払いも受け付けてるのだということに思い当たる.だが,殆どの人間がクレジットカードを持ち,多くの支払いをオンラインで済ませることの出来るこのアメリカで,そんなに沢山の人がわざわざここまで遣って来て,現金で支払ったりするんだろうかという疑問がすぐに起こる.

しかしふと周囲を見てみると,一人,また一人と切れ目なく誰かが遣って来ては財布から現金を取り出し,支払いを済ませていく.小切手さえ使わない.そして僕が見た限り例外なく,全員が貧しげな身なりをしていた.そこでハッと思う.小切手もクレジットも,銀行に口座がなければ使えない.つまり,ここに電気料金を支払いに来る人は,銀行に預金をする余裕さえないということなのか.だからこの場所は必然的に貧困層の人たちばかりが集まり,それだけ犯罪のリスクも高くなり,社員の安全(と受け取った料金)を確保するために防弾ガラスが設置される...

自分の順番が来て,言われたとおりIDとSSNカードと契約書を渡す.社員が僕の契約書に書かれた住所を打ち込んでいるときに顔をしかめる.彼はイヤホンを外してマイクを切り,隣の窓口で対応をしていた同僚に話しかけた.マイクは気っても,受け渡し用の隙間から声は聞こえてくる

「○○○なんて住所,データベースにないんだけど?」

実は僕の契約書に書かれていたアパートの住所がミススペルになっていたので,僕は言う.

「あ,そこ,Cが一個抜けてるみたいなんだよ」

すると彼は僕をジロリと睨んでマイクを繋ぎ,言った.

「私がマイクを切って話すときはこちらの問題なので,口出ししないでくれ.聞かれたことだけ答えてくれればいいから」

余りの違和感に唖然としてしまった.普通何かの登録をするときは,客と直接遣り取りするものだと思ったからだ.
「あれ?この住所で検索しても何もヒットしないんだけど」
「え?あー,そこCが抜けてるかも知れないっすね.それで検索してもらえます?」
「あー,本当だ.ありましたよ!」
というような.

この壁が,と思った.

僕と社員の間に置かれているこの防弾ガラスという壁が,社員の中にまで心理的な壁を作ってしまう.こんな壁さえなければ,僕はもう少し気分良くこの手続きを終わらせることが出来たのに.安全第一なのは分かる.だがその結果,この職場からは笑顔が消える.支払いの受け取りと,機械的な情報入力だけが機械的に行われ,必然的に雰囲気は殺伐としてしまう.

何がいけないのだろう.貧困か.銃か.それとも何でも直ぐに内側と外側に分けて壁を作ってしまう人の心か.多分その全部で,そして理由なんて他に幾らでもあって,同時にそれら一つ一つの全てに対して,僕は何の解決策も持っていない,そういう考えが襲ってきて,気分は物凄く憂鬱になる.

大学に戻ってきて昼食を取ろうとカフェテリアに行くと,いつもの黒人のおばちゃんが陽気に声をかけてきた.昨日まで黒かった髪の毛が金髪になっている.
「Hey! How are you doing, my friend?」
「Fine, thanks. You got blond!」
「Yeah, you like it?」
「Sure, I like it so much!」
「Me, too. Can I help you?」
「Cheese burger, as usual.」
たったそれだけの会話だったのに,思わず涙が出そうになって,半分視界が滲んでしまった.平和とは,こういうことなのだ.