「実験屋さん」の罠

同僚や他所の研究室のアメリカ人や中国人が実験しているのを見て思うのは,日本人の手先の器用さである.僕が2分で出来る操作を,彼らがやると10分経っても完了しない.別に日本に居たときは,僕の手捌きがそんなに早いとは感じなかった(むしろパートのオバちゃんに完敗していた)わけで,だから実験操作を速くかつ正確にこなせることは,日本人研究者の特徴だと言ってよいと思う.

よろしい.日本人は実験が得意である.だがそこに落とし穴がある.

僕の出身研究室も含め,日本の研究室には実験好きが多い.短期間に大量のサンプルを調査し,大量のデータを出す… でも,それで終わり.論文が出てこないって人が結構いる.

気持ちは分かる.どんどん自分の腕が上がって,効率よく,スピーディに実験操作をこなせるようになっていくのは,RPGのレベルアップにも似た快感がある.また大量の実験サンプルを処理しているとき,ある種の無心の状態になったり,自分の集中力に軽く酔ってみたり(苦笑).ゴリゴリと実験を推し進めているときほど,「いやー今日もめっちゃ頑張った!」という満足感に浸ることが出来るものだ.

だが実験が得意になってくると,実験そのものがもたらしてくれる快楽の虜になりやすい.そもそも何のための実験だったのかを忘れてしまったり,単に新たな実験手法を試したいがためだけの研究計画を立ててしまったりする.で,ゴールはどこ?みたいな.

でも実験があんまり得意じゃない人間にとっては,実験ほどの「労苦」はないわけで,だからわざわざ実験するからには,論文という「報酬」が得られなかったら泣くに泣けない,ということになる.だから明確なビジョンに拘る.

どっちがいいかって?

ビジョンがあって,実験が得意だったら無敵でしょ.笑