恋愛能力って,よーするに何?

先日交換留学生を送るお別れパーチーがあったわけだが,その席で女の子が前日彼氏とケンカしたとかで「ウチは恋愛能力が低いんですぅー」と言った言葉がどうも気になってしまった.
「恋愛能力が高い子って具体的にどういう子?低い奴ってどんな奴?」
とその場で聞いてみたものの,誰もちゃんと説明できない.「思いやりですかねぇ?」くらいしか出てこない.
彼女が自分の恋愛能力が不足していると感じるのは,多分今の彼氏以外でも,長く一緒にいると相手に対する不満が溜まってしまうからなんだろう.だがそもそも二人が性別から育ちから何もかもが違う以上,どうしたって主義や主張の齟齬は生じる.つまり自分を通すか,相手に譲るか,というジレンマが起こる.恋愛には妥協も必要,なんて言葉もよく耳にするが,しかし恋愛能力が高い=妥協するのが上手いってのは全然説得力がなさそうである.

とか考えてたら,興味深い言葉を思い出した.それは大乗仏教の始祖とも言うべきナーガルジュナの言葉らしいのだが.

「愛はどこにあるか?それは私の中にあるのでもなく,あなたの中にあるのでもない.私とあなたの間にあるのだ」

恋愛の悩みに関する話をしていると,「もっと自分を大事にしなきゃ」とか「そこはもうちょっと相手に対する思いやりが足りないんじゃない?」みたいな言葉がよく出てくる.よーするに,先に書いた自分か,相手かという話なんだが,そうじゃなくて,本当に大切なのは「間」なんじゃないかねと.「間」ってのは二人の「距離」であり,「間(ま)」であり,「関係」である.それは自分だけでも相手だけでも,一人では絶対に起こらない,二人揃ったときに初めて現象として現れ来る「何か」である.その「何か」とは,ちょっとした会話のやりとりだったり,共感だったり,一緒に美味いものを食べたという共通体験だったり,セックスだったり,そういったもの全てである.そういう二人の「間」を大切にしようとする態度こそ,恋愛能力(こういう文脈で使うと違和感ありまくりの言葉だな・・・)の原点なのではなかろうか.

「間」とはしかし,残念ながらなかなか掴み所がなく,非常にフラジャイルなものである.だから,片方が胸中にちょっとした不満を抱くだけで簡単に壊れてしまうものだ.だから自分のやり方を押し通すのは論外だし,相手に尽くしてばかりでは自分が折れてしまう.それじゃやっぱり妥協点を探すしかないんじゃないのか,となりそーだけど,そこから先はもう眠いのでまた今度.