ミもフタもない話だが.

http://blog.tatsuru.com/2008/05/14_1049.php
先日,内田樹のブログ「週末婚?」とゆーエントリを読んで「うっ?」となってしまったのである.

お互いを束縛しない自由な夫婦というのも結構なことだと思う。
けれども、自分たちがその自由を満喫できるような条件が永遠に保証されているわけではないということは忘れない方がいい。
私たちは必ず年老い、病み、仕事を失い、心身の機能が低下する。
親族はそのようなときのための「安全保障」の装置である。
だから、私たちは自分の親族のうちに、幼児や老人や病人や障害者をフルメンバーとして受け容れている。
私たちはかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人や障害者になる。
そのときの「弱い私」をフルメンバーとして敬意を以て接してくれるような共同体を構築するために、「強い」ときに、持てるリソースの相当部分を彼らのために割くのである。

夫婦双方がやりがいのある仕事をし,お互いにあまり気を遣わないで済む,というのが僕の描いていた理想であるし,どーして結婚するのかと言えば,一人でいるよりも二人でいる方がずっと楽しくて幸せになれるからであり,逆にそういう相手じゃなければ結婚なんてあり得ない,というのがこれまでの僕の考えであった.1+1が3にも4にもなる.それが結婚ってもんだろう,と.

それが間違っていたなどと言うつもりはない.だが「結婚をするということは親族を作るということであり,親族を作るとは万が一の事態に陥った自分を助けてくれるセーフティネットを作るということである」という,このミもフタもない言葉には大いに考え込まされた.1+1が0.5にしかならないことも,将来的にあり得ないことではないからだ.

早速この話題を彼女とのメールに取り上げた.ええ,話はとても良い方向に進みました.


しかし自分の中で,何かもう一つ引っかかっているような感覚が残っていて,夜毎ベッドの上で何となく考えていたんだが,それが何なのか昨夜分かった.

それは,僕はが,自分の父親が30代半ばで白血病に罹り,エリート街道から転げ落ちた人物であったにも関わらず,自分が同様の状態に陥る可能性について具体的に考えたことがなかった,という不思議な事実であった.しかしその理由はすぐに分かる.安全と健康に関して過剰なまでにうるさかった父親への反発から,多少のリスクを冒してでも人生を謳歌してやるんだと決心した日のことを今でもはっきり覚えているからだ.「親父のケースは特殊であって,世の中の大多数は安全なんて気にしなくても普通に生きてるじゃないか」と.

それからの僕は村上龍に酔い,世間の圧力を跳ね返して自由を謳歌する強い個人を目指した.負けるやつは弱い,弱いやつが悪い.それが,多分僕の父に対するアンチテーゼだったんだろう.

だが20代半ばで自分の弱さを実感してからは,人間の弱さや脆さの方に興味が移ってきた.そして今,あらためて思う.
ズバ抜けた頭脳を持ち,エリート街道をひた走る父親に皆が期待していた.だが親父がそこから転落してしまっても,期待を裏切ってしまっても,僕の祖母や伯母や母は父親を見離さなかった.父が亡くなるまでの13年間,看病を続けた.そうなのだ.あそこには家族があったのである.

家族を作る ―― やってみようじゃないか.