自殺について

先週くらいまでネット上でチラホラと話題されることの多かった自殺だが,やっぱり「自殺する人間なんて理解できないね」とか「もっと酷い状況の人間なんて幾らでもいるのに」とかゆー意見が多いね.自殺に関しては,多分過去にも何度か書いたけど,僕はラッセルの意見を支持している.

私が他人の時計を奪って海に投げ込めばそれは犯罪行為になるが,自分の時計を海に投げ込んだところで,せいぜい馬鹿者と思われるぐらいである.まして,その時計が壊れて役に立たないものであったならば,むしろ私は賢明な人間だとさえ評価されることもあるだろう.私の時計について言えることは,私の命についても言える.
・・・(中略)自殺を考えたくなるほど惨めな人生を歩んでいる者に対して,私は同情を感じこそすれ,彼らに命の価値や生きる意味を説くことに意味があると考えることは出来ない.

「生きていればいいことがある」という意見に対しても,ラッセルは身も蓋もない反論を述べる.

あなたが10個入りの卵を10ケース買ったとしよう.しかし最初に開けた1ケースの卵が全部腐っていた場合,もしあなたが「最初の1ケースがダメだったから,残りの9ケースは大丈夫に違いない」と結論したとすれば,かなり奇妙なことだと言わざるを得ないであろう.

少なくともこの主張に対しては論理的には反論の余地はない.だが本当に生きる意味や命の価値を考えるなら,こういう身も蓋もないレベルからスタートするしかない.それ以外のあらゆるいけんは単なる自殺者批判となってしまい,今まさに自殺の淵に立っている人間を後ろから蹴落とすことになりこそすれ,引き戻すことなど絶対にできない.ただの自己満足だ.