記号と意味

先日彼女と話している時に,彼女が「例えば今けんが困ってたら助けたいって思うのに,一年前とか,出会う前やったら,けんが困っていても家の扉を開けて助けてあげようなんてまず思わないやん? 彼氏と赤の他人やねんから当たり前といえば当たり前なんやけれども,この違いの背景にあるのはどういうことなんやろうか? 今けんを助けようと思ったりするのは咄嗟にそう思うんであって,今助けておいたら将来自分が困ったときに助けて貰えるやろうからとか,そういう利害を一々考えて判断するわけじゃないよね?」という,かなり哲学的な問いを口にしたのであれこれ考えてみたんだが,色々と切り口があってかなり面白い.で,この問いについて何度か思い出しては考えてということをしてるうちに,自分なりに一つの新しい見解を見つけたので書いておくことにする次第.

それは「記号」と,その記号が持つ「意味」との関係に似ているということだ.

例えば僕らは「〒」という記号を見ると「郵便番号」という意味に解するが,この記号が使われているのは日本だけである.つまり,外国人にとっては「〒」は「〒」という単なる記号に過ぎず,そこに意味を見出すことはない.だがその外国人がいったん「〒」の記号が持つ意味を知ってしまうと,今度は二度と「〒」を無意味な単なる記号として認識することは出来なくなる.今僕がここにこうして書いているひらがなやカタカナや漢字を,僕らが無意味な記号として見ることが出来ないのと同じように.

僕らにとって赤の他人は,外国人にとっての「〒」のような,意味を持たない記号なのだ.だが一度でも出会い,話し,何らかの関係を持ったが最後,その記号は必ず意味を持つ.その意味は大切な意味かも知れないしそうじゃないかも知れないし,ポジティブな意味かも知れないしネガティブな意味かも知れない.だが,それはもはや無意味ではないのだ.

それにしても,「意味」っていう単語の意味(ややこしいな)って実はかなり広い.「食べる」とか「白い」とか,そういう純粋に言葉の表わす「意味」もあるけれど,言葉や行動の裏側に潜む「意味」っていう意味もあるし(さっき彼が言ったこと,あれどういう意味?とか),或いは「価値」というニュアンスを持つこともある.「今さらそんなことしたって意味がない」とか「僕の人生の意味」とか言う場合とか.
さらに,「ヤバい」って単語の意味が,ちょうど僕らの世代あたりから危機的状況だけではなく,ポジティブな表現として使われたりするように,記号が持つ意味は常に変化し得る.というか,むしろ不変ではあり得ない.だが,確かに恋愛関係が破局を迎えたりして,相手の持つ意味が変わってしまうことはあっても,やはり無意味な記号に戻ることはないのである.

「自分」という記号が持つ意味についても考えてみるのも面白い.

当たり前だが,記号はそれ自体で意味を持つわけではない.読み手に読み取られることによって初めて意味を持つ.だから,「自分」という記号の意味も,それを読んでくれる他者の存在なしには有り得ないわけだ.例えば僕にとって彼女を失うことは,彼女という読み手を失い,そして彼女が読み取ってくれている意味をも失うことになる.

そんなことには耐えられないから,手を伸ばすんだろう.