宗教と科学,服従と自由,保障と鬱2

Janeの家庭は,一神教が抱えてしまうジレンマの典型だな.
「どういうことですか?」
聖書の言葉って神様の言葉だろ?キリストにせよイスラムにせよ,神は完全で絶対で普遍なものだから,聖書の言葉もまた永遠の真理を表してることになる.だけど,所詮は人間が一千年以上前に書いたものだからなぁ.まあだから聖書やコーランが書かれた時代に存在した問題にはよく対応できたんだけど,時代が変われば社会や個人が抱える問題も変わってきてしまう.でも時代に変化に合わせて聖書の言葉を書き換えるわけにはいかない.そんな都合よくコロコロ変わってしまう真理なんて,神様でも何でもない,ただの人間の言葉に過ぎなくなってしまう.だから神様を信じるならば,聖書の言葉にそぐわない事物は全て否定するしかなくなってしまう.それを認めたら,神の不完全性をも認めてしまうことになるからな.
「確かに,そうならざるを得ないですねぇ」
カトリックはまだいいんだよ.元々ローマ法王の支配欲のお陰で随分俗世に塗れた歴史があるからな.聖職者は結婚どころかセックスもダメなはずなんだけど,ルネッサンス以降は愛人も子供も作ってたし.免罪符なんてのもあったろ?罪を犯しても,教会に寄付をすれば赦されるってやつ.たぶんそんな背景も手伝ってて,カトリックは聖書の言葉をそれほど絶対視はしてない.ビッグバン宇宙論も,ダーウィンの進化論も,ローマ法王は容認してるからな.聖書の言葉は飽くまで信仰の問題であって,現実世界のことを表記したものではない,って感じか.だいぶテキトーだけど.
でまーそんな腐敗した連中の何が神の代理人ぞ,と反抗して宗教改革を起こしたのがルターだわな.ルターは個人の信仰は誰かに導かれるのでもないし,豪華絢爛な教会に行かないと神を感じられないなんてそんなわけないだろ,我々の信仰の教会は,個人の心の中にこそ築かれるべきなのだ,と言った.
「カッコイイですね」
でも,ルターはそこで「聖書に帰れ」と言っちゃった.聖書こそが唯一絶対の基準だとしてしまったわけだ.もちろん当時は斬新な,それこそ「革命」だったんだけど,それ以降の変化を一切許容できなくなった.だから,今でも厳格なプロテスタントはガチガチの聖書主義になっちゃう.
「あー,とんだ両刃の剣ですねえ」
まーな.でも皮肉なもんだと思わないか.これだけ科学とテクノロジーの力を駆使して,世界で一番自由主義経済が発展したこの国の,国民の半分が神様を信じてるんだぞ.
「皮肉ですか?」
そうじゃないか?元々技術の進歩と経済の発展は,個人の収入が増えて,他人に頼らくても一人で生活できるようにしてくれるはずのものだっただろ?これでもう,他人に煩わされずに生きていけるって感じのさ.ところがいざ一人になってみると,不安で堪らなくなってくしまうってことじゃないか.共同体での人と人の結びつきが強かったときは,何かに失敗しても誰かが力を貸してくれた.別に恋人がいなくても,近所付き合いでお酒飲んだり出来たしな.でも,今の社会で競争に負けてしまったら,誰が助けてくれる?人間は自由の獲得に向かって進歩してきたものの,それは常に転落の不安に曝されるってことと隣り合わせだ.そして人間はそんな不安に耐えられるほど強くなかったってことじゃないのか.
「確かに.僕の周りにいるクリスチャンの友達も,『不安みたいなものは全然ない』って,みんな口をそろえたように言いますからね」
うん.宗教がちゃんと機能している共同体には自殺なんかないし,鬱だってない.失敗しても絶対誰かが助けてくれるからな.反対に,宗教から自由になるほど発展した国では,自殺が死因の1位にきてしまう.で,今度は科学の方がジレンマを抱えるわけだ.人間の苦労や不安を解決しようとして発展してきたはずなのに,却って不安を増大させてしまっただけなのかよ,みたいなね.