大学院を選ぶコツ

昨日紹介したハミングの講演記事だけど,別の人の感想にこんなんがあった.

アメリカ人のうらやましい所はこういう後進を励ますような講演やエッセイをする人が沢山いるということだよね。(それに比べると日本には人のやる気をくじいたりせせら笑うような人が多すぎる。)
http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/diary.html

まあ,日本で訳されるほどの講演やエッセイをするアメリカ人って凄い人ばかりだろーし,対して日本の情報は日常接している一般レベルのものがほとんどだろうと思うので,少々サンプリングが偏り過ぎていると思う(今のボスなんて有能な学生を何人潰してることか…)のだが,それでもこの言葉には「そうそう,うんうん」となってしまった.僕の身近にも多かったからである,そういう人が.

研究室には時々,若い学生が見学に来る.その中には「研究者になりたいんです」と目を輝かせながら言う子もいる.僕ならそういう子には是非とも自分のラボに興味を持ってもらうべく,発見の歓びや自分が取り組んでいる研究テーマについて熱く語るだろう.で,締め括りは「キミも一緒にそういう体験してみーひん?」という感じかな.
ところが世の中にはこう言ってしまう人があまりにも多い.「研究者ってそんな簡単になれるもんじゃないんだぞ」と.mixiの研究者コミュもそんな人ばっかである.そして研究がどれほど大変なことかを強調する.こんなに大変なことを毎日やっている自分は偉いんだぞ,とでも言いたいらしい.
そういう人達には要注意である.彼らにとって何故「研究=厳しい道」なのかと言えば,「厳しい現実しか体験したことがない」からである.だから,若年者に対して出来るアドヴァイスも「苦労話」だけになってしまう.彼らは苦労する(苦労した)ことでしか自らの人生を肯定できない.だから苦労=善である.そうしてどんどん部下や学生に余計な苦労を押し付けるようになっていく.彼らは,大真面目に,自分が部下や学生を鍛えてやっている,教育してやっているんだと思っている.そして当然のことながら,は部下や学生のやる気をどんどん奪っていく.当然,本人だけでなく,部下や学生からも成果は上がらない.だからこういう人がいる研究室を選んではいけない.

確かに研究しているとどうしても壁に突き当たってしまうことはある.同じ失敗を100回繰り返さなければならないときだってある.だがその先にあるブレークスルーの感覚を体験したことのある人にとって,苦労話なんて単なる笑い話か思い出話である.そしてそういう人は,苦労話以外の,そういう人にしか出来ないような話をしてくれるだろう.何よりもそういう人に共通していることは,研究について「楽しそうに」語るということだ.研究が楽しいものだということを教わった学生は,自分からどんどん実験をしてどんどん結果を出していく.そういう研究室こそ,あなたが行くべきところである.