それは無価値感という.

無価値感とは,自分の価値を上手く感じる事の出来ない心のことを言う.

無価値感が強いと,そのままの自分では人に認められたり愛されたりするわけがない,そんな価値などあるはずがないと思ってしまう.だから頑張ってしまう.
すると頑張ってるから認められ,役に立っているから必要とされているのであり,そんな自分をやめると認められも愛されもしないという恐れを感じる.結果,止まらず走り続けてしまう.

それは夢に向かって走り続けるのではなく,追われているように走り続けているような感覚だ.当たり前だが,それはしんどい.

また恋愛においては特に,「愛されるためには何かをしなくてはならない」という観念が特に大きくなりがちだ.
だが愛されるために何かをしてしまうと,仮に相手が愛情を返してくれても,その気持ちを半分も受け取れないという事態が生じる.相手の好意は,自分の「犠牲」や「奉仕」に対する「対価」という位置づけになってしまうのだ.相手が認めてくれているのは自分自身じゃなくて,自分の犠牲的行為なのだという受け取り方をしてしまう.こうなってくると,「これだけやったんだから貰って当然」という気持になったり,「あれだけ頑張ったのにこれだけしかくれないの?」という要求になったりしてしまう.
何れにせよ,結局自分自身は満たされないままになってしまうため,愛情を求めて更なる犠牲行為に走ってしまう.その結果「これだけやってもまだ愛されない.もう自分は愛されることなんて無いんだな・・・」と,果てしなく沈み込んでいくこともある.

また無価値感が強いと卑屈になってしまったり,或いは自己評価が低い分,自分の喜怒哀楽を他人のそれより安く見積もってしまうようになる.自分に対して不公平になってしまうのだ.自分の苦痛にせよ他人の苦痛にせよ,同じ一人の人間の苦痛という意味では等価値の筈なのに,自分の苦痛を過小評価してしまうわけだ.この度合いが強くなると,相手がどんなに理不尽でも一方的に隷従してしまうという事態が起こる.ここからDVまではすぐそこだ.DVの被害者側が加害者側から離れられないのにはもちろん恐怖もあるが,自らの無価値感がそうさせてしまっているケースも少なくないのである.

明日は無価値感の原因について書くことにする.