自己呪縛

いつかの内田樹のブログに書いてあったこと.

「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。・・・自分の不幸を説明する仮説の正しさを証明することに熱中しているうちに、その人は「自分がどのような手段によっても救済されることがないほどに不幸である」ことを願うようになる。・・・・・「被害者である私」という名乗りを一度行った人は、その名乗りの「正しさ」を証明するために、そのあとどのような救済措置によっても、あるいは自助努力によっても、「失ったもの」を回復できないほどに深く傷つき、損なわれたことを繰り返し証明する義務に「居着く」ことになる。・・・・・「私はどのような手だてによっても癒されることのない深い傷を負っている」という宣言は、たしかにまわりの人々を絶句させるし、「加害者」に対するさまざまな「権利回復要求」を正当化するだろう。けれども、その相対的「優位性」は「私は永遠に苦しむであろう」という自己呪縛の代償として獲得されたものなのである。「自分自身にかけた呪い」の強さを人々はあまりに軽んじている。

一昨年だったか,まだ僕が日本にいた頃に,何故か知り合いの女性や女友達が婚約を破棄されるという事態が続いた.それらのうち一部は今は幸せになり,一部は今でも苦しんでいるようだ.
確かに婚約を破棄した理由は彼女らが付き合っていた男の方にあり,それも大抵は新しい女に乗り換えたわけで,だから女性の方が一方的に傷つけられた,それも酷く傷つけられたという事実に間違いはない.プロポーズしてから乗り換えるなんて不貞も甚だしいわけで,だから100%相手に非があるんだ,ということには僕も反対しない....少なくともしばらくの間は.

だが,それを何年も引き摺るのはマズい.「私のことをこんなに傷つけながら,自分だけ幸せになりやがったことだけは許せん」なんてセリフは,何人もから,何回も聞いた.だがそれをいつまでも言い続けるのはマズい.自分はあんなにも色々としてやったのに,こんな仕打ちを返してきたアイツなんて・・・!!みたいなセリフを吐き続けるのは,非常にマズいのだ.

なぜなら,それは「私は正しい,正しい私は正しいことをしたのに,悪いやつのせいで損をした」という物語として固定化してしまうからだ.そして「自分は正しい」という幻覚を得るために,人は自らを不幸な状態に縛りつけてしまう.自分が不幸なのは,自分は正しいことをしたからだ!ということを証明するために... 

だが,不貞な男たちとの関係が終わってしまった今,現実に彼らが幸せだろうが不幸だろうが,今のあなたの幸せには関係がないのだ.関係ないにも関わらず,今なお「悔しい」という気持ちが消えないのなら,それは心理学でいうところの自尊心,仏教でいうところの「我執」であると思った方がいい.その苦しみの原因は,確かに男のせいだが,あなたが自ら作り出しているものでもあるのである.苦しみには必ず複数の原因があり,そしてその原因を一つでも消し去れば,苦しみもまた消え去ってしまうのだから.

しかし人生は勝ち負けではない,と悟るのは難しい.ならば責めて,「彼を責めるために自ら不幸であり続ける」よりも,「幸せになって彼を見返す」という選択肢を取って欲しい.大切なのは,誰が正しいとか間違ってるとかじゃなく,あなたが幸せになるということなのだから.