研究者としてやってはいけない

京大の大学院の先輩にGさんという人がいた.ほとんどイネしかやっていなかった僕の出身ラボで,ダイズの栽培と研究を立ち上げた人だ.
「大学4年の卒業研究でイネをやったけど面白くなくて,修士課程から何か自分で研究テーマを探そうと思って色んな人に意見を聞いてみたんだけど,ほとんどの人が『これからはストレス耐性が大切だ』って口を揃えて言ったんだよ.だからストレス耐性はやめておこうと思った」
と言った先輩の言葉は未だに印象に残っている.
「イネの作付け面積は国の政策で減らされていて,農家の人たちは代わりの作物としてダイズを栽培することが多いのに,学会に行ってもダイズの研究報告って凄く少なかったから,オレがやろうと思った」
そして彼がダイズ研究を開始して4,5年が経った頃,日本中でダイズが研究され始めた.先輩の先見性は見事に当たったのだ.

またGさんは修士の間の実験だけで学術雑誌に論文を投稿していたり,僕の中では尊敬に値する先輩の一人である.しかし彼の行動で一つだけ,僕には見過ごすことの出来ないものがあった.

Gさんは僕の同期の卒論〜修論の指導をしていた.同期は決してマジメな性格ではなかったが,ノリと勢いだけでかなりの実験・調査をこなし,修士課程の半ば頃には論文を投稿できそうなほどのデータを出していた.
そんな同期と二人で飲みに出かけた時,「あのさ…」と同期が言った.
「オレ修士終わったら就職決まってるから必ずしも論文出さなきゃいけないわけじゃねぇんだけどさ,3年間頑張ってきたわけだし,やっぱ研究生活の締め括りってカタチで出したいと思うじゃん? でもGさんに『論文はオレが書く』って言われちゃってさ...それでさ,結局オレは第二著者になるって言うんだよ.何でオレの名前が最初じゃねえんだよ.オレの修論じゃねぇのかよ!」

別に僕は,Gさんの行為が倫理的にマズいとか,そういうことを言いたいわけではない.同期の研究はGさんが考えて計画したものだし,実験や調査も指導だけでなく,実際に手伝ったりもしていたわけだから,G先輩にも「この研究はオレが第一著者として論文を書く」と主張する権利はあるだろう.だがそれでも,僕はこれはやってはいけないことだと思う.何故なら指導者的立場の人間がそういうことをすれば,必ず集団の中で慣習化し,下の人間のモチベーションを奪うことになるからだ.卒業研究や修論研究をどんなに頑張っても,最後は上の人間が第一著者として論文を書いてしまう...そんな状況では,学生の中に「これは自分の研究なんだ」という意識が芽生えて来ない.つまり,Gさんのようにちょっと目先の成果を欲張ってしまうと,最終的に研究室全体のパフォーマンスを著しく落とすことになってしまう.だがもし逆のことをするならば...下の学生に,本人を第一著者として発表や論文投稿をさせれば...最終的な結末も,逆になるわけだ.

言ってしまえば「損して得取れ」ということなのだが,これが出来る人間はとてもとても少ないらしい.