150円のキャベツ1個で,グラム150円の肉100gを買うことは出来ない

さっき。仕事から帰って来たらいきなり座らされて、
「あなたとは、人生を一緒に歩めません。」
と言われた。原因は、俺の育児放棄だそうで、
どっかの芸能人夫妻のネタかと思ったけど、
そうじゃないらしい。
とりあえず、激昂していたので、
落ち着かせて話を聞いてみたんだが、言っている意味が良くわからない。
「私達は共働きだから、育児も家事も仕事も半分負担。
あなたはその義務を果たしていない。」
正直、全然違う仕事して、全部平等とか同じ量とかって
不可能だと思うんだけど、それは解ってもらえないらしい。
結局、堂々巡りになって、
「貴方は、家庭と仕事とどっちを取るの?」
と言われる始末。
ちなみに、彼女には育児放棄、家事放棄と言われたわけだけど、
当然自分としては協力してると思っているんだよなあ。
・土日の食事は100%作成してる
・平日の嫁と娘の食事の「ストック」を土日で仕込む
・嫁の土日外出時は、娘の面倒見る
・土日は娘を風呂入れる。
・平日の家事が回らないって言うから、家政婦雇う。
http://anond.hatelabo.jp/20090112230518

ありがちである.「ちゃんと協力してよ」「いやオレだって○○してんじゃん.てゆーかこんだけやってんのに責められる意味がわかんない」という...

しかし人間の心の流れは,世の中のお金の流れと似たようなもんである.どこの心理学者が言ってたか忘れたけど.
例えば肉屋さんと八百屋さんがいたとする.肉屋さんだって野菜は食べるし,八百屋さんもたまには肉が食いたい.でも,八百屋さんが自分の店で1個150円で売っているキャベツを持って肉屋さんへ行き,「これとグラム150円の肉100gを交換してくれ」というマネは基本的には不可能だ.例え商品の価格が同じであっても,物々交換は出来ない相談なのだ.「貨幣」という媒介があって初めて,商品は世間に流通可能となるわけだ.

家事や育児の負担でも同じことだ.相手の負担を,自分の負担によって直接相殺しようとしても無駄だ.商品に支払う代金と同様に,負担に対しては「言葉」が必要なのだ.「いつも○○してくれてありがと.今度はオレが××するよ」という感じの「言葉の交換」を間に挟まないと,人間の心は簡単に停滞してしまう.だから上記の問題は家事の分担がどーのとかそういうレベルの問題では全くないと思われる.

それから,人間は基本的に「人が自分のためにしてくれたこと」よりも,「自分が人のためにしてあげたこと」の方を30倍も強く記憶しているという話があるらしい.とすると,言葉を介さずに家事を分担しようとすると,半々どころか,自分の負担を相手の負担の30倍にしないといけない,ということになるのか.言葉って大事だな.