僕の研究に関する学術的背景

生物の遺伝情報はDNAが直鎖上に結合した巨大分子であるゲノムに記録されているが,それは基本的にA,T,G,Cの四種類の文字配列を組み合わせた暗号コードである.したがって,生物の適応進化には必然的にこの暗号コードの書き換えが伴うことになる.
 この設計図書き換えの原因としては,細胞分裂に伴ってDNAを複製する際にミスコピーが主なものだと考えられてきた.しかし1984年,転移因子という特定のDNA配列が急速な設計図の書き換えを引き起こし,その結果生物の適応進化が起こるという仮説がノーベル賞受賞者のBarbara McClintockによって提唱された.
 転移因子とは,その名の通り生物のゲノム内を転移してそのコピー数を増加させることのできるDNA配列であり,その意味ではウイルスに近い(ただしウイルスのように外皮タンパク質を持っていないので感染することはない)因子である.この転移因子は転移ごとに数百〜数千文字分の暗号配列の書き換えを誘発し,実際に突然変異の原因となることも多い.さらに,高等生物のゲノムの大部分の配列が転移因子に由来したものであり,例えばヒトのゲノムの約半分が,転移因子または過去に転移因子であったことが明らかなDNA配列によって構成されている.以上のことから,転移因子が生物の進化において重要な役割を果たしてきたと考える研究者は少なくない.
 しかしその一方で,転移因子が病原菌やウイルス同様の単なる寄生者に過ぎないのではないかとの意見も未だ根強い.特にDNA二重螺旋構造の発見者であるFrancis Crickは,病原体(寄生者)が宿主にとって利益をもたらすものではないにも拘わらず,絶滅どころか繁栄しているのは,宿主となる生物の増殖速度よりも,病原体の増殖速度の方が速いという単純な事実によって説明可能であり,転移因子と宿主ゲノムの関係も同様である,とする「Selfish DNA Theory」を共同研究者と共にNature誌に発表し,この論文は大きな影響力を発揮した.この理論によれば,転移因子が生物の適応進化に寄与することは,あったとしてもほんの僅かであり,その貢献度は重要であるとは言えないということになる.

・・・今日はここまで,続きは明日に.