最近、というか何年か前から考えてること

学位を取ってからずっと気になっていることがあって、それは当り前というか至極常識的なことなんだが、社会人になった途端、人間関係の壁って何か急に高くならないかってことである。いや、本当は年齢とともに、ってだけかも知れない。もちろん結婚して家族がいるって人はそこがいちばん大事なんだけど、結婚もしてなけりゃ子供もいない若手同士でも、なかなか友達になれない。

誰とでもすぐ打ち解けて仲良くなれるってことに関しては、相当に得意なはずの僕だけど、最近になってようやく、それこそつくばに来て1年以上かかって、何人か友人と呼べる人が出来てきた。昨日また1人の人と友達になれたかな。まあそれについては、また今度。

そりゃ仕事とプライベートは別って考え方の人は多いし、同じ研究所にいるからって学生時代のように毎日顔を会わせるわけでもないし、逆に同じ研究室にいる若手同士だったら寧ろライバルだったりするし、親密になるスピードが落ちる要因って幾らでも考えられるけど、でもそれだけじゃ説明し切れないんだよなー。

飲み会に行っても日記に書く言葉といえば「同僚と飲みに行ってきました」だし、ご飯を食べに行っても「職場の先輩とご飯に行ってきました!」という感じ。いつまで経っても、同僚、同期、先輩または後輩の関係。仲良くないわけじゃないんだけど、友達とは違う。友人と呼ぶにはやっぱりどこか抵抗がある。

アメリカにいた時もそう。学生としてジョージアに来てる人間とはすぐに親しくなれた。当時の仲間には、今でも本当に大切だと思える友人が何人もいる。でも、ポスドクとして来てる人たちとは、毎日一緒に昼飯を食ってた人もいたのに、ついに友情は成立しなかった。個人的な話題を幾ら振っても、ほとんど喋ってくれないんだよね、オトナって。いや、もしかしたら自分のことをあんまり喋りたがらない人間に限って、研究者を目指しちゃうんだろうか。こんなに鬱になりやすい職種に、鬱になりやすい人間がやって来てるってこと?・・・どんなホイホイだよ、それ。

いや別に、それでみんな満たされた気分で生活してるならいいんだけど、実は結構深刻な悩みを抱えたまま生きてる人が多いから困る。手を差し伸べようと思っても、背を向けられてしまう。馴染みの、何でも話せる友達がすぐ近くにいてくれるならいいんだけど、社会に出てしまったら、そういう友達とは遠く離れてしまうことも多いわけで。だったら、新しい友達をここで作るしかないはずなのに。

「悪いのは自分だから」とか。勘弁してくれ。このままじゃ鬱になっちまうんじゃなかってのが分かってて、本当にそうなられることほど無力感に襲われることってないんだぞ。いや、だからってもちろん、僕のために話せってわけじゃなく。といって、あなたのためを思って言ってるんだなんて押し付けるわけじゃなく。

困った。僕はまだ、そういうことをうまく伝えられる言葉を持っていないらしいってことが、今分かった。

それにしても、何が人をそんなに固くしてしまうのだろうか。口を閉ざすことで、人は一体何を守ろうとしているんだろうか。

そこを上手く突破するための方法を、何とか考え出せないものか。。。