昨日までの自分とは違うことをしている、今日の自分に気づくとき
昨日のクラリネット吹きの友人だが、彼女には申し訳ないことに、僕は今までクラリネットという楽器をほとんど重要視していなかったのである。オーケストラサウンドも室内楽もソナタ曲も結構聞いてきた僕だけど、やっぱ主役は弦楽器、対して管楽器系の曲は何というか、マイナーな感じ?で、どうもCDを買ってみようという気にならなかったわけだ。うん。メッチャごめん。
で、最近になってその友人がクラリネット吹きでしかも結構上手い、ということを知ったときに、改めて自覚したわけである。そーいや僕は今までクラリネット曲なんてほとんど聴いてこなかったなと。こんなとき、次に僕が取る行動は決まっている。
「何かCD貸してくんない?」
で、まず貸してもらったのがブラームスのクラリネットソナタ、クラリネット三重奏に五重奏、続いてモーツァルトのクラリネット協奏曲と五重奏。早速聴いてみたところ・・・
やべえ、全部超が付くほどの名曲じゃないか。クラリネットの音色も、あらためて聴いてみると何とも甘い響きである。しまったなー、今までこれを聞かずに過ごしてきたなんて随分勿体ないことをしてしまった、と思った次第。あな口惜し。
で、こうしてちょっと聴いただけで、僕の知らない名曲がゴロゴロ出てきたわけである。それなら、クラリネットに限らずとも、僕が知らない名曲ってもっと沢山あるんじゃないか、と思うわけです、常識的に考えて。
で、僕のクラシックCDコレクションを眺めてみると、買うだけ買って殆ど聴いていなかった曲ってのがやっぱり結構あるわけです。ある1曲のためだけに買って、カップリング曲はほとんど再生してない、みたいな。
そんなわけで、家にあるCDを片っ端から聴いている、今日この頃。そして案の定、また名曲を発見して、一人でワーとかギャーとか騒いでます。そういうことをしてるとやっぱり普段の会話もクラシック関連の話題が増えたりするわけで、そーするとまた色んな名曲情報が手に入る⇒家に帰ってYoutube検索⇒気に入ったらamazonで発注⇒届いたのを聴いたら感動、みたいな。こりゃ楽しい。
こないだまでウチに帰ったら何となくテレビを付けてたんだけど、もう何日もテレビは電源さえ入ってない。
こんな風に、昨日までの自分とは明らかに違うことをしている自分に気づくとき、僕は大きな満足を覚える。それは喩えちょっとしたことであっても、自分が変わったってことだから。
僕は仏教的な世界観というか、唯識の考え方が好きで、それは心の中に世界の全てがあるってことなんだけど、つまりは僕の心の中に映っているもの、それがつまり僕の世界の全てってことで。要するに、僕=世界かつ世界=僕。だから僕が変われば世界が変わり、世界が変われば僕も変わる。(ちょっと省略しすぎだけど、唯識が気になった人は、まあ調べてみてね)
そしてそういう変化の切っ掛けはやっぱり、人との出会いによってもたらされるわけで。そしてそういう出会いこそ、大事にしなきゃね。
さ、風呂入ろ。