勝ち負けや損得より大事なもの

子供のころから、親父から 「お前はお人よし過ぎる。そんなことでは他人に利用されて、人生損するだけやぞ」 とよく言われた。「だからもっと人を疑うことを学べ」と言われ、そしていつしか本当に、僕は他人を信用しない青年になっていた。内藤家の歴史と、親父の壮絶な人生からすれば、損得や勝ち負けに拘るようになったのも無理はないだろう。でも、親父が言ってたことは、本当に正しいのだろうか。

さすがに33年生きてみて、勝てば幸せになれるってわけでもないし、負けて不幸になるわけでもなく、得をしたからどうだ、損をしたからこうだ、なんて簡単に決まるわけではないことも分かってきた。

もちろん程度の問題はあるんだろうけど、人を蹴落として勝利を掴んだ人よりも、負けても慰めてくれる誰かがいる人の方が、幸福な人生を送れると思う。1000円を拾っても、それを共有できる誰かがいないのは不幸だし、1000円を落としても、その失敗を一緒に笑ってくれる誰かがいてくれれば、幸せだと思う。

つまり、自分が信用できる人、そして自分を信用してくれる人がいた方が、人生はより幸福なものになる。若いころの僕は、そういう人が既に一人いるし、一人いれば十分だ、なんて思ってたけど、それもまた間違ってたね。その一人を失ったときの孤独感といったら、なかったもの。ああ、信用できる人って、一人じゃあかんかった、沢山いた方がええんやなと、暗い部屋の真ん中で思ったものでした。そう思うと、少しは立ち上がる気力も湧いてきたけどね。

そんな僕が、人との間に信用を築いていく上で、最大の武器になってくれるのが、親父にお人好しと揶揄された性格だと思う。他人の問題なのに、その話を聞いて一喜一憂する僕の姿は、バカに見えるだけかも知れないし、鬱陶しいかも知れないけれど、でもやっぱり、自分がそうして貰えたときって、凄く嬉しいから。多分相手もそうかも知れないなと思って、自分が感じたことをストレートに表現することにしているわけです。演技じゃないからね、決して。

もちろん、勝利や名誉や栄光も、驕らない限りは、より人生を幸福にしてくれる要素だし、今日もそのために努力をしているわけだけど、それが全てじゃないのです。