いちばん弟子のこと1

彼女との出会いは、僕がD3のときだった。最初の渡米が終わって、京大に戻ってすぐの頃だ。ガーリーな格好しかり、敬語も碌に使えない口のきき方しかり、彼女を見れば、誰もが「キャピキャピしていってのはこういうのを言うんだな」、と思っただろう。
授業の出席もいい加減で、確か4年生になってもまだ英語の単位が足りてなかったはずだ。こんな学生に研究など出来るのだろうかと、当時の教授は本気で心配したらしい。だけど僕は、彼女の中に強烈な好奇心を見た。好奇心が旺盛であることほど、研究者に求められる資質はない。僕は、教授に直訴して、彼女を自分の下に付けてもらうことにした。
 そして実際に実験に取り組み始めた彼女の姿には、皆が目を見張った。元々早寝早起きな生活スタイルだったらしいが、大体午前6時半〜7時くらいには実験室に入っていた。僕がかなり極端な夜型だったこともあって、彼女と手分けして一日中実験設備を稼働させまくった結果、普通なら半年くらい掛かっても良さそうな実験が、3週間で終わってしまった。教員・学生ともに、皆唖然としていた。
 いつだったか、僕が彼女に実験は楽しいかと尋ねたら、「はい,楽しいです!」と嬉々とした表情が返ってきた。大抵どこの研究室にも「頑張って沢山実験する」タイプの学生が何人かいるものだが、彼女の場合は頑張るというよりは、実験が楽しくて仕方ない、むしろ実験が出来ない時間の方が耐えられない、という感じだったのだ。研究には不屈の忍耐が必要だとか言う人は多いけど、そういう人は彼女には絶対に敵わないだろう。「我慢?何それ?」とか言って、笑いながら実験する人間になんか、僕だって敵わない。
 そんな感じで、最初は実験の結果が出るだけで満足していた彼女だけど、半年ほどすると、不意に科学というものに目覚めた。自分で文献を検索したり、専門外の学会やシンポジウムにも積極的に参加しては刺激を受けて帰って来るようになった。そのうち彼女の口から僕もまだフォローできていない単語まで出てくるようになって、僕の方が慌てて文献検索をする始末だ。何てこった。アイツ、まだ英語の講義に出てるんじゃなかったっけ?そんなヤツに僕の方が教えられるなんて。
 それから更に数カ月が経った頃、彼女の机の本棚にはMolecular Biology of the CELLの第5版や、その他分子生物学の参考書、さらには哲学書までが並ぶようになった。自分で買ったのかと訊くと、「新しい真理に迫ると、それまで当り前だった世界が全然違って見えるんですね。今までの私は普通に服が欲しいとかそういう興味ばかりだったんですけど、今はそんなのどうでもよくなってしまいました。何かひっくり返るような新しい知識に出会いたいんです。」と、彼女は言った。そのとき、僕は確信したのだ。彼女は絶対にアカデミアの道を進むべきだと。
 だから、僕がアメリカに渡って1年半が経過した頃、僕はドクターに進学したばかりの彼女をアメリカに呼び寄せた。僕自身が、学生の間にに外部の研究機関や海外での研究生活を体験し、そこから得られたものは非常に大きかった。だから、彼女にもそうなって欲しいと思ったのだった。彼女はアメリカに来ても全速力で実験をした。僕の論文もNatureに通った。そして彼女が渡米してから1年ほど過ぎた頃に、僕は後のことは全て彼女に託して日本に帰った。
 でも、その後の展開は、誤算だらけだった。