いちばん弟子のこと2

僕が帰国してから、アメリカのボスは1千万ドル規模のバカでかいグラントを獲得した。そのこと自体は素晴らしいことだったんだが、それからボスは少し変わってしまったらしい。昔から小さな成果じゃ満足できない性質だったけど、それが、「物凄い成果じゃないと満足できない」になってしまったのだ。あと、ボスの下にはこれまでずっと、超が付くほど優秀なポスドクがいたのだけど、それがどういうわけか、僕の帰国後にはポスドクに応募してくる人間さえいなくなってしまったのだ。結果、彼女は「物凄い結果」を求めるボスのプレッシャーを、ダイレクトに受ける格好になってしまったのだった。
 それだけなら、まだ良かっただろう。そこへ、致命的な追い討ちが襲ってきた。彼女の父親はがんを患っていたのだが、ある日容体が急変し、彼女が帰国する間もなく、この世を去ってしまったのだ。彼女は、父の死に目に会えなかった。
 当時、メールや電話などで彼女と連絡を取り合う機会が何度かあったが、彼女の心で燃えていた研究への情熱の火が、すっかり消えてしまったのが感じられた。研究とは、身近な人を犠牲にしてまで行わなければいけないものなのか。そんなにも大切なことなのか。そういう疑問が、彼女の心を占め始めたことは明らかだった。彼女が、研究職以外の進路を考えている言ったときにも、僕には思いとどまれと言うことは出来なかった。

 彼女の言葉を聞いてからしばらくの間、僕は頭を抱えてしまった。彼女は研究者として、僕なんかより遥かに優れた資質を持っていて、その能力は研究の世界でこそ活かされるべきだと、僕は思ってきた。今だってそう思う。でも、彼女の人生は彼女自身のためにあるのであって、僕のためにあるわけじゃない。ましてや、僕の考えが正しいことを証明するために、彼女は生きているわけではない。そもそも、研究を楽しいと思えなくなってしまった以上、研究の道に進んだところで、彼女の能力が十全に発揮されるわけがない。だったら、彼女自身が、自分が最も幸せになれると思う道を自分で選んだ方がいい。
 彼女の周囲、特に京大での同期の人間たちは、彼女に対して「ここまで頑張ってきたんだから、諦めてしまうのは勿体ない、もう少しの間、続けた方がいいんじゃないか」ということを言ったらしい。まあ、日本人なら多くがそう言うだろう。だが、ただ博士課程に進んでしまったからというだけで、博士号を取り、ポスドクになり、そして鬱になった人間を、僕は何人も知っている。彼女がそんな人生を送るくらいなら、それこそ研究なんか辞めてくれた方が余程マシだ。勿体ないって言われるかも知れないけど、でも一度本気で取り組んだことは、自分の血肉と化しているもので、そういうことは、喩え他の道に進んでも、思わぬところで役に立ってくれたりするものだ。だから、少なくとも彼女にとって、大学院時代の経験が無駄になるなんてことはない。

でも。だけど。