ラッセルの幸福論「あきらめ3」

活動的な人々の中には、ほんの小さな諦めや、ごく微かなユーモアの閃きでさえ、働くエネルギーや成功への決意を打ち砕いてしまう、と考えている者が多い。私に言わせれば、彼らは間違っている。やりがいのある仕事は、困難なものであろうと易しいものであろうと、自らを欺かない人々によっても成し遂げられうるものである。自己欺瞞に支えられているときにしか仕事のできない人たちは、自分の職業を続ける前に、まずもって真実に耐える術を学んでおく方がよい。でなければ、彼らの仕事は有益どころか、有害なものになってしまうであろう。害を与えるくらいなら、何もしない方がマシである。
 この世の有益な仕事の半分は、有害な仕事と闘うことから成り立っている。事実を正しく認識することを学ぶのに少々時間を費やしたところで、時間の無駄ではない。その後になされる仕事は、活力を刺激するために絶えず自我を膨らませる必要のある人たちがする仕事よりも、ずっと害の少ないものになっている見通しがある。
 己の真実の姿に進んで直面しようとする態度には、ある種の諦めが含まれている。この種の諦めは、初めのうちこそ苦痛を伴うにしても、最後には自分を欺く人々が陥りやすい失望と幻滅に対する免疫を与えてくれるのである。日ごとに信じ難くなることを信じ続けようとする努力ほど、疲れるものはない。こうした努力を捨て去ることこそ、確かな、永続的な幸福に不可欠な条件なのである。

自分で自分をエリートの側に置いてしまうと、タイヘンだってことだよね。ありのままのそのままでいいってわけではないけど、ゴールからスタートするわけにはいかなしね。千里の道も、一歩から。小さなことから、コツコツと。。。

・・・って思ってたワリには、いきなりエレベーターに乗せられてしまったような感覚は、実は少しあったりするけど。