モンゴル軍の侵攻.武臣政権は一旦安定したんだけども,所詮は武人の第一人者.政治機構も経済基盤も所詮は国家や朝廷に依存せざるをえず,権力の基盤は希薄なものであった.しかしモンゴルという「外圧」を利用して,武臣政権は国をまとめてしまう.
モンゴル軍の朝鮮半島侵略が始まったのは1231年,で,モンゴルに対する反乱が終息するのは1271年.実に40年もの間,朝鮮半島は戦場となり続けたことになる.以下,少々朝鮮の歴史から脱線.
モンゴル軍はベラボーに強かった.それは彼らの徴兵制度による.モンゴルは100戸につき何十人だかの割合で10代の少年を徴兵した.働き盛りの男を駆り出してしまうと国の生産力が落ちるからである.そしてその少年兵は遠征に参加する.実戦が訓練である.そうして西へ西へと領土を広げていくウチに,屈強の戦闘のプロ集団となったワケである.彼らは物心付いた時から馬に慣れ親しんでいたのだから騎馬隊はムテキ.退却と見せかけて馬に乗りながら後ろ向きに矢を放つ(ソンナマネできるのモンゴル人だけ)戦法はバチグンの威力を発揮する.そーやってヨーロッパの国々を相手に連戦連勝を重ねたのは事実.でもソレだけじゃない.
彼らは戦争に勝った後噂を流した.モンゴル軍に敗れた○○の街は老若男女を問わず残酷なやり方で皆殺しにされた,と.そうやって恐怖をバラ撒いておいて,新たに攻め込んだ街を取り囲むと,「今のウチに降伏するならミンナ無事に助けてあげるヨ.この街の支配者がコレからもこの街を治めるコトも許しちゃう♪」という条件を出して,戦うコトなく領土を広げていくコトも多かったのだ.結局モンゴルの支配政策は,旧来の支配体制をそのまま残しておく,という古代ローマ並みに柔軟なモノだったようである.だからこそ歴史上最大版図の領土を獲得できたのだろーけど.
で,だ.しかしながらモンゴルに降伏してしまうと武臣政権は自分達の権力の拠り所を失ってしまう.ソコでモンゴル軍の「噂」の方を利用して,国を「徹底抗戦」の方向に誘導した.で,政権の中心部に居た人々はどーしてたかというと,(モンゴルに水軍がナイから)首都を江華島に移し,安全な場所でヌクヌクと豪奢な生活を楽しんでいたワケである.オイ!
とゆーわけで,モンゴル軍の侵攻によって朝鮮半島文化財は多くが消失しちゃったんだけど,コレはモンゴルが残虐非道だったというよりは,当時の支配者のモンダイも大きかったのであった,マル.
なお,モンゴルの歴史に関する知識はこの本を参照のこと
モンゴル帝国の興亡<上> (講談社現代新書)