党争.
李氏朝鮮王朝の成立以来,政治を動かしていたのは勲旧派と呼ばれる,王都周辺を拠点とした一群の両班(りゃんばん=貴族みたいなもん)官僚で,彼らは広大な荘園を所有し,高位高官を独占していた.しかし彼らの所有する私有地は拡大の一途を辿り,結果として国家の税収は減少,農民の負担は増加する一方となり,各地で盗賊が横行し,反乱が起こるようになる.15世紀に整備された国家体制は,同世紀末には早くも崩れ始めたわけである.
このような社会・経済の変化に連動して政治面でも新しい勢力が台頭し始める.地方に拠点を持つ在地両班はそれぞれの拠点で農荘を拡大して郷村での支配力を強め,科挙にも合格して中央政界に進出するようになった.彼らは士林派と呼ばれる勢力を形成し,やがて勲旧派と激しく対立するようになる.
当初勲旧派は士林派を激しく弾圧したが,既得権益層が時代の流れを止められるワケもなく,1567年以降は士林派が政治の主導権を握ることになる.
しかし士林派政権が成立すると,地方から中央へ進出する在地両班の数は増加の一途を辿り,士林派は西人と東人と呼ばれる二つの派閥に分裂する.当初は東人が優勢であったが,西人に対する態度を巡って対立し,強硬派の北人と穏健派の南人に分裂する.更に北人は対南人強硬派の大北と穏健派の小北に分裂して党争は複雑な展開を見せた.党争による政治の混乱は避けられず,また党派は子孫や郷村の同族,あるいは学問上の師から弟子へと受け継がれ,党派間の構想は長期に及び,両班内部の階層分化を引き起こし,朝鮮王朝後半期の政治・社会面に大きな影を落とすことになるのであった.
てゆーか朝鮮人,分裂しすぎ.批判精神旺盛なんだから,ホントに….