比べるということ

最近何人かのヒトとディープなハナシをする機会がチョコチョコあって,ソレでニ,三年程前にいつも考えていたことを再び思うのだが,自分らしさに拘ろうとするヒトほど他人を知らない.自分も随分長い間そういう時期があったので,キモチはよく分かるヨ,ホント.
ヒトはよく,自分と他人とを比較して苦悩する.自分に欠けているモノを持ったシトに出会うと,その人の資質を羨み,妬み,素直に賞賛することのデキナイ自分を醜いと感じる.逆に自分より何かがデキナイ人に出会うと,心の中でそのヒトを軽蔑し,優越感に浸り,そしてそのような自分を醜いと感じる.他人なんか関係なく,ありのままの自分に自信を持てる人間になりたいと願う….
だが,他人と自分を比べるというのは,そんなに良くないコトなのだろうか.
ワタクシに目から鱗を落とさせた言葉として,こんな例がある.

白人は黒人を見て初めて,自分達が白人であることを知った

人間は飽くまで他人と比較しなければ,自分を知ることがデキナイのダヨ.何かがデキル人に出会ったとき,自分はソレがデキナイと知ることができる.何かがデキナイ人に出会えば,自分はソレができるらしい,と知ることができる.結局,多くの他人を知って自分を相対化できる人ほど,安定した自画像を持つ.なぜなら,そういう人は自分の限界を知ると同時に,他人の限界にも気が付くからである.
何でも1人でデキル人間などいない.寧ろデキルコトよりデキナイコトの方が多くて当たり前なのが人間である.自分にはデキてトーゼン,タイシタコトナイヨ,と思っているようなコトでも,他人にはデキナイかもシレナイ.逆に他人がトーゼンの如くやってるようなモノを,自分がデキナイからと言って気にする必要があるだろうか.ねえ,そんな必要,あると思いますか?
ワタクシは尊敬される人間にはなりたくない.信用される人間になりたい.デキナイコトは他人に任せ,自分がデキルコトは責任を持って実行する.そんな人間とは,一緒に居て居心地がイイと思いませんか.
ワタクシの大好きな,塩野七生のこんな言葉.

自らが凡人であることを悟った者は,既に凡人ではない

くぅー!カッコイイ〜!!目指せ凡人!!!(笑)