全体化の心理〜昨日の続き〜

人はある人物の欠点を見つけると,たとえその人物がその他にどれほど多くの美点を持っていたとしても,その唯一つの欠点のためにその人物を軽蔑する

シェイクスピアハムレットの冒頭で言った言葉である.(ウロ憶えなので詳細はテキトー)
ヒトの心理にはどうしても「全体化」というものが働いてしまう.ソレは要するに,物事のヒトツの側面を以って,その全てを判断してしまう傾向があるとゆーコトである.上の引用文がその好例で,他人の欠点を見て「アイツサイテー」となってしまうのを見るか聞くか,或いは自分がその当事者となるかしたヒトは決して少なくナイと思う.かく言うワタクシも過去何人の人物を斬って捨ててきたかシレナイ.モチロン逆に,たった一つの長所を以って相手に心酔してしまうコトもある.そのような場合は,彼(女)にとってその人物が言うことは全て正しく,そのヒトにとって神のような存在になってしまうコトさえある.そして当たり前だが,全体化は思考停止であり,危険である.
全体化の心理はイロイロなトコロで顔を出す.ヒトツの社会現象からその時代を判断したり,一つの文化的特徴からその国やその国のヒトを結論付けてしまったりする.しかし今回はとりあえず全体化の心理が自身に対して作用する場合を考えるコトにする.
上手い例を挙げるのが難しいなあ….例えば誰でも通るような試験に落ちてしまったとする.そんな時に「ああ,こんなカンタンな試験に失敗するなんて自分は何てダメなヤツなんだ」となる,という例で分かってもらえるだろうか.別に試験でなくても,自分の一つの欠点や失敗を以って「自分=ダメ」と,自分全体を否定してしまうのが全体化.同様に,例えば仕事で成功して「ヲレスゴイ」と思い込み,他人は自分に敬意を払って当然という期待を抱くのもまた全体化である.
分かり易さを優先したので,上記の例はかなり極端なモノだと思うが,そのような経験をしたコトがナイとゆーシトは,あまり多くはいないだろうと思う.
しかし繰り返すが,全体化=思考停止であり危険である.それを防ぐには逆のコトをしなければならない.つまり「細分化して考える」のだ.試験に失敗した=自分がダメだから,ではなく,自分のどの部分がイケナカッタのかを考えた方がトクである.「試験準備をサボったのがイケナカッタ」→「じゃあ今度はちゃんと勉強してもう一回」という解決策を考えるコトができるからである.自分の欠点に気付いても,ソレを以って自分を醜いと思うのではなく,「欠点くらいあって当然.自分には他の側面もあるのだからソッチで勝負」と考えた方がトクなんである.成功や長所についてもソウ.成功した=ヲレエライ,ではなく,「自分のこの部分がヨカッタ,アノときコウしたのがヨカッタ」と考えられれば,ソレを自分の長所として保つ努力を続けるコトができるだろう.そのような細分化されたパラメータを総合したモノが「自分」なんじゃないかなぁ…多分(弱気).
で,やっと昨日書いたハナシに繋がるんだけど(前置きだったのかよっ),自分も他人も細分化して見ようとするならば,比較を通して自分を知ることができる.どんなヒトにも長所があり,短所がある.欠点ばかりに目を付けて,アイツダメダネ,なんて言ってちゃ彼(女)が持つ長所を見逃し,すなわち自分の短所に気が付くコトができない.尊敬すべき人物の前で「情けないなヲレ」となってしまうのは結構だが,その人だってカンペキではない.あら捜しをしろというワケではないが,そんなヒトにだって足りないトコロがあり,それに気付くコトで自分が彼(女)を補える点を発見できるだろうし,ソレはすなわち自分の長所に気付くチャンスなのだ,と考えているワタクシ.