その10 〜振り返って,全てを言葉にした〜

昨日オトシタカケラを書き終わった.彼女との関わりや出来事において考えた事柄は,今まで誰にも話したことがない.つまり初めてちゃんとした言葉に変換したわけだが,ああして振り返って,あの時に考えたことが今の自分の価値観や基本性格に決定的な影響を与えていることをあらためて認識した.id:KEN_NAITO:20050117のvol.8に書いたが,ずっと考え続けることによって,

結局ワタクシは,自尊心に負けていたのだ――

ということに気づくことができた.そしてそれ以来,自分の自尊心というものについてはかなり自覚的に考え,行動することができるようになったツモリである.だが,コレは実はワタクシの人生において,ワタクシをかなり憂鬱にさせるパターンの典型なんである.上に引用した文章のすぐ後に,ワタクシはこう書いた.

他人の気持ちより自分の自尊心を優先して行動する人間が,どうして信用してもらえるというのだろうか.

誰がどう見ても,当たり前の事実である.そしてそんなツマラナイ事に気付くために,大切な友人の信用を全面的に失うという,トンデモな代償を払っていることになる.そんなことが,今までに何度もあった.大切なものを失って,何がいけなかったのかを探すために自意識の闇の中に沈んでいって,コレだ,と掴んで上がってみると,手にしているのは自分でも知っていたはずの,当たり前の,常識.

だからワタクシにとって,自分に確信を持つなどというのは不可能事である.今まで繰り返してきたことは,きっとこれからも繰り返す.また大切なものを失って,当たり前の事実を知って,自分の愚かさを呪うのだろう.
けれど,傷つき倒れてから立ち上がった時に掴んでいる「常識」は,もはやワタクシにとって単なる常識ではない.それは,「根拠あるものとして語ることのできる言葉」を伴ったものとなっているのだ.

その「言葉」のお陰で,ワタクシは同じ不幸を避けることができる.その「言葉」が,それまで意識の外にあったものに対して自覚的にさせ,以前より多くの幸福を与えてくれるんである.


傷ついても周りのせいにしない.といって,「仕方がない」と諦めたりもしない――


そうやって徹底的に考え抜いて,言葉を見つけながら歩いていけばいいんだろう,と案外前向きに考えているワタクシでもある.
…続く