その21 〜結婚観?9〜

とゆーわけで,恐らく一般には人生の一大イベントと捉えられているであろう結婚ではあるものの,その根拠はカナリ疑わしいんである.つまり,幸福な人生を送る上で必ずしも「結婚」とゆー「ハコ」は必要ナイんじゃないかとゆーことである.といって結婚の意義を全く否定するワケではナイ.id:zizyねーちゃんやid:Marichan姉御のよーに,自分にピツタリなシトと共に生活できることはシアワセの重要な一要素なんだけど,ソレが欠けているからといってマルキリ不幸ということにはならない,という意味である.
そんなコト言ったって,歳を取ってヒトリじゃ寂しいんだよ〜なんて言われそうだけど,「結婚しない」=「全くの孤独」ではナイ.そりゃ忘れられたように一人で生きていくコトは,いくつかの例外を除いて,不幸なコトである.んだけど,結婚できない,あるいは理想的な異性に巡り会えなかったとしても,職場やプライベートにおいて信頼し協力できる仲間がいたならば,それはカナリ幸福なコトであろうと思う.その仲間とは,過去にid:KEN_NAITO:20041221で書いた,

ワタクシにとって最も大切な思い出に属するものは,誰かと思いっきり楽しいコトを経験した記憶である.なぜなら,後で当事者同士でそのコトについて語り合って,共有することが出来るからだ.過去の思い出について話し合えるというのは,ソレ自体かなりの幸福感を感じさせてくれるものだとワタクシは考えているが,ソレが楽しい記憶であればナオサラである.思いっきり楽しいコトをするというのは,それは今その瞬間を楽しむダケに留まらず,幸福な過去を作るというコトであり,また将来ソレを語り合う未来をも作るコトに繋がるのダ.一粒で三度もオイシイんじゃありませんかコレ?

のようなカンケイを築ける仲間である.モチロン仲間だけいても仕方ない.生活に困る程収入が少ないのは不幸であるし,毎日の時間をヤリガイのあることに費やせず,充実した時を過ごせナイ,ヘタすりゃストレスが溜まる一方ってのも困ったものだろう.
そんなわけで,村上龍が昨年出した「人生における成功者の定義と条件」という本の序文で,彼が仮説として立てている定義はかなりワタクシの腑に落ちる.

「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、かつ信頼できる小さな共同体を持っている人」

ただ,生活費を得る手段と充実感を得る手段が必ずしも一致している必要もナイんじゃないかと思うワタクシ.例えば彼女(23)のように生活費はダンナに稼いでもらって,自分は家事をしながら充実感を得るとか.また実際に家事以外にカウンセラーなどのボランティアをやって,満足そうな奥様方を何人も見てきた.或いは夏目漱石「それから」の主人公のように,生活費は親に保証して貰って自分は本を読み思索に耽る,といった「高等遊民」なんて気取ってもいいし,その他モロモロの趣味に生きてもいいんだろう.
…なわけで,ワタクシなりに上の定義をスコシ変えてみるコトにする.

  • 生活費に困らない
  • 充実感を得られるような仕事または何らかの活動に多くの時間を掛けている
  • 信頼できるコミュニティがある

の三つが揃ってれば,なかなか不幸にはなりにくいと思う.モチロン,偶然が引き起こした悲劇に見舞われた場合は除外しなければならないし,他にも幸福の条件と呼べるモノがタクサンあるのは当たり前だが,とりあえずワタクシはこの三つを重視したいとゆー意思表明.

幸福考シリーズはコレで一旦オワリかな.いや続くかな.まーワタクシの気分シダイ,もしくは皆様の反応シダイ…