2003年3月.茨城の研究所での二年間を終え,ワタクシは地元に戻ってきた.あちらでの研究はまだ完了していなかったが,今度はアメリカ行きが控えている.それに向けての実験を大学で始めなければならなかった.茨城で携わった研究の続きは,たまにその研究所まで足を運んで施設を使わせて貰えれば,あとは大学で続けることが出来た.2月に行われた修士論文発表会も,相変わらずマイクなしのプレゼンをやって,いちばん目立っていたのは間違いなかった.父親が亡くなった後1人で学習塾を経営しつつ,ワタクシと弟を育てた母親も,4月からMさんのいる神奈川へ移る.とにかく自分の将来はうまくいく,そう思っていた.


「アンタも帰って来たし,私がここを出て行く前に,家族で集まって寿司でも食べようかと思ってる」


そんな母の言葉に,面倒だなと思った.内藤家の「家族」と言うのは,父方の親戚――近くに住んでいる父方の祖母と二人の伯母――も含む.三人とも,母の再婚を快く思っていなかった.特に,祖母は衰えが著しくて要介護の状態で,つい最近まで母が世話をしていたのを,下の伯母が引き取ったばかりだった.父は死に際に,母に向かって「(父の)母をよろしく頼む」と遺して逝った.伯母達にしてみれば,母の行動は不義に当たる.彼女たちが母に悪感情を抱いていない筈がなかった.


そして,予感は当たった.というよりも,思っていたより事態は遙かに悪かった.


そしてある日,寿司の出前を取って,祖母や伯母も含めてワタクシの実家に集まった.しばらくは問題も起こらなかったが,食べ終わって母が席を外した時に,下の伯母が切り出す.


「健ちゃん,あんたお母さんがここを出て行くことをどない思てんのや?」


やはり来た,と思った.


「別に?この上なくええことやと思ってるで」
「せやけどあんたのお父さんはタマちゃん(母のこと)にお婆ちゃんのことを頼むて言うてたやんか」
「親父はもうおらんし,今は10年前とはちゃうやろ?それに,おかんの人生は…」


この話題にケリを付けるつもりで,言った.


「おかんの人生は,内藤家のためにあるんやない」


言いながら,少し悲しくなった.祖母や伯母や父達が,どうやって生き延びてきたのかを考えれば,母がこの「家」から出て行こうとするのを許せない気持ちも分からなくはなかったからだ.


…続く