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17のときだった.何かにつけて父と比較されることを避けようとする自分が嫌になって,父を追いかけようと決心した.父が背負っていたものを,自分が引き受けようと思った.受験勉強はそこから始まった.一年浪人して,京大に合格した.
母は,言った.「お父さんが亡くなってから,初めてええことがあった」と.上の伯母は,それこそ泣いて喜んだ.余り大袈裟なんで苦笑するしかなかったが,自分の成功を喜んで貰えることに,少なからぬ満足を覚えた.バイオ研究者として生きていくこと自体は自分の望みだったが,とにかく自分が出世していくことが,家族の望みだった.自分が夢のために前進することが,家族にとっても歓迎される.自他共に認められる人生.理想的だと思った.稼業の学習塾も手伝った.「孝行息子」たることが誇りだった.
大学院もトップで合格し,進学すると茨城にある国の研究機関との共同研究の話が舞い込んできた.一瞬,母の事を思い,迷った.が,大学の一研究室と国の機関では研究の予算規模がまるで違う.そうやってキャリアを積み上げていくことは,研究者として間違いなくプラスになるし,それはまた家族にとっては益々自慢の種ができる.
――筈だった.
祖母が立ち上がれなくなった日に,自分がそこにいれば,まだ家族は家族として成り立っていたかも知れない.だが自分がそこにいなかったのは,自分のキャリアを最優先にしたからだ.
自分の夢が,自分の拠り所を破壊した――
何度考え直しても,同じ結論になった.その度に自分の中から力が抜けていった.アメリカで更なるステップアップを,と思っていた.だが,そうやって地元を離れている間に,また何か大切なものが消えてなくなってしまいそうな気がした.
翌日,ワタクシは大学の教官に向かって言った.
「アメリカ行きの話,考え直させてください…」
ベクトルは下へ下へと沈んでいく.実験も,全く手に付かなくなった.
…続く