9 道家思想:荘子2

リラックスしようぜ

昔,ある男が孔子に尋ねた.
「私は以前,川の難所と言われる場所を舟でわたりました.そのときの渡し守りの舟の操り方は、まさに神業でした.渡し守りが言うには『泳げる人はすぐ舟が操れるようになる.潜水夫なら尚のこと』と.どういう意味でしょう?」
孔子は答えた.
「泳げる人が舟の扱いにすぐに慣れるのは,水が恐くない,つまり水の存在を忘れるからだ.潜水夫なら,尚更水を恐れない.だから舟の難所と言われる場所でさえ,陸地のように気軽に思えて,もっと簡単に舟が上達することになる.潜水夫なら,たとえ事故が起こっても,余裕綽々で対処できるからだよ.
碁を打つ時,賭けるものが価値の低い瓦だったら,リラックスしてうまく勝てる.しかし賭ける物の価値が上がるとだと心が緊張してしまう.賭ける物がが黄金ともなると,もう目が見えなくなってしまう.技量が同一でも,負けを恐れる気持ちがあると『外』を重んずるようになる.『外』を重んずる者は『内』がお粗末になってしまうのだ」

大きく見ようぜ

斉国と魏国の間で緊張が高まり,戦になりそうだった時のこと.ある者が戦争を防ごうと,魏の王に会見して言った.
「その昔、蝸牛(カタツムリ)の左の角の上に触氏という国があり,右の角の上に蛮氏という国がありました.ある時,両国の国境を巡って激しい戦となり,戦死者は数万,逃げる敵を追撃する掃討作戦も十五日に及んだとのことです」
王が「馬鹿馬鹿しい空事だ」と言うと,彼は続けた.
「それでは現実の話を致しましょう.どうか想像力を働かせてお答え下さい.われらの上下四方に広がる空間に,限りはあるでしょうか」
「宇宙は無限である」
「では,無限大の宇宙空間に精神を飛ばして,宇宙から私たちの生活圏を見下ろした様子をご想像頂きたい.遙かなる大宇宙から見れば,我々の生活圏は小さな点ほどもないでありましょう」
魏の王は,想像の世界で大宇宙から遙か眼下の地上を見下ろしながら答えた.
「そのとおりである」
「その地上における小さな一部が魏であり,その魏のなかの一区画が都であり,その都のなかの建物に王がおいでです.大宇宙の中の王さまの存在と,蝸牛の角の上の蛮氏と,いかほどの差がありましょうか」
「…大差ない」
王は茫然として,戦争を中止した.

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どーすか.癒されません?まーとにかく,最後に,荘子の「言葉」に対する感覚にゾクリとさせられたオハナシを載せときます.

筌(魚を捕る道具)は魚を在(い)るる所以なり.魚を得て筌を忘る.蹄(罠)は兎に在るる所以なり.兎を得て蹄を忘る.言は意に在るる所以なり.意を得て言を忘る.吾れいずくにか,かの言を忘るるの人を得て,これと言わんかな.


荘子は,こう言ったワケ.魚を捕まえるために竿を用意しても,魚が捕れたら竿のコトは忘れてしまうモンだヨ.兎が捕まったら罠のコトは忘れてしまえるよネ? 言葉だって意味をとらえるための道具なんだから,意味を捉えたあとは,言葉には用がなくなるハズだヨ.そのように言葉を忘れるコトのデキる相手を探して,ともに語りあいたいもんだなぁ…


二千三百年も前にソンナコトを言ってたシトがいるなんて,スゲーなぁと思うシダイ.


さてミナサマいかがだったでしょ? [東洋思想]はとりあえず今日で一旦オシマイ,次は仏教思想に入ってイキタイんだけど,仏教に入る前にインド哲学をヤラナイと始まらナイってコトで,次回から新しく「インド哲学」を始めてみよーと思うシダイ.よろぽこ.