その29 〜方丈記,とか〜

引用とか,するまでもナイかもだけど.

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

――鴨長明方丈記


川の流れが絶えることはナイ,でも目の前を流れている水は,既にもとの水ではナイ.流れの淀みに浮かんでいる泡も,消えては現れ,現れてはまた消える.そのままの留まり続けるというコトはナイ.人も,人の住む世も,また同じことだヨと.


まあ,ソレクライなら言われなくても知ってるワイ,ってカンジなのだが,いつものよーに歴史・文学カンケイのサイトを巡回してると,作者・鴨長明ソノヒトについて書かれてるのを読む機会があった.で,ハゲシく共感を覚えたワタクシ.彼の人生は,挫折に次ぐ挫折だったんである.


長明は京都の下鴨神社のトップの家柄に生まれた.幼少の頃から才気をあらわし,二条天皇中宮(後の高松院)にかわいがられ,7歳にして昇殿が許される位を与えられた.一種の天才少年だったワケだ.

彼の宮廷での将来は約束されているように見えた.ところが,二条天皇天皇への実権復帰を目指して後白河法皇と対立し,しかも二条天皇は23歳で突然病死してしまう.長明は出世の望みを絶たれたワケである.ソコで今度は和歌や琵琶の道に打ち込んで人生を切り開こうとした.しかし最大のパトロンであった高松院も1176年に没してしまう.そして時期を同じくして,京都の崩壊が始まった.

方丈記』がこの世の儚さを表すために記した平安京の5つの災害と事件はいずれも,長明が20代後半の頃に起こったデキゴトだったらしい.国家の権力を誇示していた大極殿や官庁はたった一夜で焼失してしまい,白河殿も地震の一揺れで倒れてしまう.
これらの天変地異と平行して、源平の争乱が始まり,平氏が滅亡した.平清盛太政大臣に就いてから,わずか13年のコトである.それで収まるかと思えば,初めて東国に幕府を構えた頼朝政権はわずか三代で潰える.平家が滅亡し、そして源氏が滅亡したんである.見れば「むかしありし家はまれなり」「古へ見し人は二三十人が中に,わづかに一人二人なり」だったのだ.


こうしたデキゴトを若い間に体験した鴨長明は,「無常」を深く心に刻み込まれた.そしてこの世の中で,財産や地位といったものがいかに儚いモノかを実感したんだろう.
立派な住居や財産,地位に価値の基準を置いて人生を設計し,権力者に媚びへつらったトコロで何になる.むしろ人間は自らの好みを実現するために,最低限の条件を整え,自立して生きるべきではナイのか.そーやって考え出されたライフスタイルが,「方丈の住まい」での生き方だった.

…続く.