その30 〜方丈記,とか2〜


方丈とは、一辺が一丈の正方形を言う.一丈はおよそ3メートル,六畳間よりチョット小さいくらいカナ.長明の住んだ庵は,その一間にをこんなカンジで使っていたらしい.東には庇(ひさし)を出してその下で柴を燃やし,その近くが煮炊きをするキッチン,部屋の西側が机を置いたリビングで,壁には阿弥陀の像を掛け,法華経を置いた仏間スペースでもある.日が暮れると東にワラビを敷いて寝る.しかも全体は解体して荷車で運べるようになっていた.
方丈に持ち込まれた持ち物は,和歌,音楽の本,『往生要集』などの冊子と,琴に,琵琶.あとは衣類と食器類ダケ.


長明はどうして最後にこんな寂しい暮らしを選んだのだろうか.ふつう寂しさとは、賑やかさに比べて暗いとか,ヒトリポッチとゆーコトなんだが,日本人はこの頃に「さび」ということを考えた.

よく「わび・さび」と言う.「わびしい」も「さびしい」とよく似ている.長明は,人間の生活から不要なものを削いで現れた寂しい空間こそ,自由な空間だとした.そこに生まれる美意識として「さび」とゆーモノを考えたワケである.長明のあと,鎌倉時代後期に吉田兼好が『徒然草』を書く.兼好もやはり遁世をして出家を試み,そして自分から寂しい世界に入っていく.

こーいった長明の感覚とゆーのは,いわば「数寄(すき)」の感覚だったワケである.「すき」とは,髪を「梳く」の「すき」であり,紙を「漉く」,耕す「鋤く」,或いは光が「透く」,そして何より「好き」である.つまり,長明は徹底的に余分なものを捨て,本当に心惹かれるものだけに,すいてみせたのだ.


寂しいとイロイロなモノが透けて見えてくる.浮き立つような世の中に「いない」コトによって,人間や存在,歴史の本質を見ようという,そーゆー姿だったのだ.


…こーゆー無常観,平たく言えば「人の心も何もかもが移り変わっていく」んだとゆー考え方は,大いにワタクシの心に響く.少し前のid:KEN_NAITO:20050427「恋愛考その4:うつろひ」の最後に,こう書いた,

状況が変わって二人の利害が一致しなくなったとき,愛は終わりを迎えてしまいそうですね.そしてソレは多分,オトコとオンナの間にある愛ダケじゃなく,家族愛とか友情とか,ごく一般的な愛情についても当て嵌まってしまうんでなかろうか.


そう,人の心も同じ.何かが変われば,ソレに合わせて「愛」が「憎」へ,「無関心」が「興味アリ」に変わったりする.必要なモノ,好きなコトはその時々でうつろっていくものだからだ.ヒトは変わる.考え方も好みも趣向も変わっていってしまう.ソレを思えば思うほど,長明の「方丈の生活」に,ある種の憧れを感じる.
でもだからといって,ワタクシはそーゆー厭世的な生活に浸りタイなどとはマッタク思っていないんである.


…続く