その31 〜失って見えてくるもの〜

その30(id:KEN_NAITO:20050521)で書いた文章,

寂しいとイロイロなモノが透けて見えてくる.浮き立つような世の中に「いない」コトによって,人間や存在,歴史の本質を見ようという…(後略)


というのが「ヨクワカラナイ」とKの付くヒトに言われた.が,ワタクシにはよく分かる気がするのだ.「一人になるとよく見えてくる」とゆーコトバの意味が.


[missing]の7(id:KEN_NAITO:20050504)および8(id:KEN_NAITO:20050505)は,その典型だと言える.家族が割れ,親友も失って,誰もいなくなった家で一人になったワタクシは,気付いたんである.世の無常やもののあはれってヤツは,歴史を振り返って盛者必衰の理に涙するコトではナイ.散る花を惜しむコトでもナイ.自分に属するもの,自分が持っているもの,大切なモノ,ヒト,そして自分自身でさえも…アッサリと消えて無くなってしまうコトがあり得るとゆーコトに.
儚さを表現した歌や物語は,それを外から見て心動かされる,とかゆーよーなナマヤサシイもんじゃなくて,それらはそのまま自分自身にも起こりうる,自分も自分以外のものも,実は信じられないようなスピードで移り変わっていくのカモ知れない….そんなことが,よく見えてきたのだ.それ以来,誰かがどこかで言ったか書いたかしたこのコトバが,リアルな現実としてワタクシの心に貼り付いて離れないでいる.

人生は,失い続けるということだ――


だがモチロン,ソレは失うコトばかりだとゆーコトは意味していない.「変化」には,「今ソコにナイものが現れる」とゆーコトも含まれている.[オトシタカケラ]のように,突然幸運が降って湧いてくるよーなコトだってあるんである.


このままいくとハナシが逸れてしまいそーなので,とりあえずココで切っちゃう.続きはまた次回♪