仏教:四諦八正道

軽く前回(id:KEN_NAITO:200505)をオサライブッダは四つの真理である「四諦」を説いたが,その四つとはつまり…


1.人生は全て苦しみである.
2.苦しみには原因がある.
3.原因を取り除けば苦しみは消える.
4.そして原因を取り除く方法がある.


だったネ.マズはコレをモスコシ詳しく見てみよー.おー♪

人間とゆーものは「必ず移り変わるモノ」を「永久不変のモノ」と錯覚し,無理な執着を作り出しちゃう.「人生は苦である」と断定するコトは必ずしも悲観的・厭世的な見方ってワケじゃなくて,「苦」そのものを直視すベシ,心の表面でゴマカすよーなマネはするナヨ,とまーそんなカンジである.一時の喜びや楽しみはいつかは消え失せ,そしてその影には必ず「苦しみ」がつきまとう.今の生活で言うなら,酒や遊びなどで一時逃れをせずに,シッカリと「現実」を見すえて「苦」を正面から受け止め,その原因を見つめる態度がタイセツなんだヨ,と.今の苦しみは永遠のモンじゃナイし,今の楽しみや喜びもまた一時的なモノ.そーゆー現象にとらわれない生活習慣を身に付けるベシと,まーそんなカンジなんだな.


で,四つ目の真理として示された方法としての八正道.


1.正しく見なさい.
2.正しく考えなさい.
3.正しく話しなさい.
4.正しく行動しなさい.
5.正しく生活しなさい.
6.正しく努力しなさい.
7.正しく思いをめぐらせなさい.
8.正しい心を留めおきなさい.


ポカーンとしちゃうネ,コレダケじゃ.「正しい」ってどーゆーコトよイッタイ?


「正しい」とは「真理に合った」「調和のとれた」考えや見方,行動を指すんである.「自分本意」に捉われて自分を過大評価し,不平・不足・不満などの苦しみのタネを作るんじゃナイ,大きな立場で物事を判断デキるヒトになりなさいヨと,カンタンに言ってしまうとそーゆーコトである.
んで,例えばモノの見方には,些細な違いに捉われる差別の見方と,大きな立場からの「平等だけの見方」があるんだけど,そのドチラに偏っても正しい見方とは言えんゾと.ナンで「平等」の見方ダケじゃ正しくナイのってカンジだが,モノゴトに千差万別の違いが現れてくるのは,それなりの原因や条件や理由があるんである.ソレらを無視するベカラズ!コラッ!!…とまーそーゆーワケである.
差別の見方にも偏らず,平等の見方にも偏らナイ,両方を総合した捉え方が,本当の「正しい」見方ってコトになるのネ.コレを「中道」って言うんだけれど,コレは丁度真ん中って意味じゃあナイ.その時々の条件・立場に合った最善の方法の見方や考え方って意味なんである.よーするに何かヒトツの心得さえ身に付けておけばダイジョウブなんてシロモノじゃナイヨってハナシだネ.カンタンには悟りなんて開けるモンじゃナイってワケだ.ザンネン♪


はい,それではまた次回ー