仏教:縁起

ブッダの悟りの最初の第一歩,最も基本的な考え方が「縁起」とゆーモノである.エンギがイイとかワルイとかゆーコトバの元になってはいるけれど,本来の意味は,別に担ぐモノではマッタクナイ.

此れがあれば彼があり,此れがなければ彼がない.

此れが生ずれば彼が生じ,此れが滅すれば彼が滅す.


ちょっと荘子(id:KEN_NAITO:20050513)に似てるネ.だからこそ,仏教と道家の思想が重なって「禅」が生まれるんだが,それはまだまだ先のハナシなので,脱線は控えるベシ.

「縁起」とゆーのは,「すべてのモノゴトも現象も,森羅万象全てが,ある原因に縁って生じている」とゆーことである.

人を例にとって考えるなら,「ワタクシ」という人間は,生まれてから死ぬまでずっと他人と何らかの関係を持ちながら生きている.生まれたからには,両親がいて,育ててもらうコトになる.どんなに地味に普通に生きようが,誰とも関係なく生きるなんてデキるワケはナイですナ.

デキゴトを例にとっても同じ.あるモノが他の一切のモノゴトやデキゴトと関係がなく,それ自体単独の力で生じるということはあり得ナイ.必ず他のものとの縁があって生じていると,そう考えるのが「縁起」なんである.


多分,ブッダは密林の中で苦行を重ねていた頃,動植物の食物連鎖を見ていたんでないだろーか.草木を食糧や棲み処としている動物がいて,その草食動物を食べる肉食動物がいる.死ねばみな土に還り,その土からは再び草木が生えてくる.草木が無くなれば草食動物は生きられず,草食動物が滅びれば肉食動物もまた滅ぶ.だから肉食の動物たちも,自分たちが食べる以上には決して殺さない…


自然界「食う⇔食われる」のカンケイを見て,「弱肉強食」よりも「相互依存」に注目したブッダはトンデモなくスゴイと思われ.


で,チョット漫画のハナシ.モチロン,手塚治虫の「ブッダ」なんだけどネ.「ダバイダッタ」のシーンがモーレツに感動モンなんすよ.ダバイダッタってのは身長5mだか10mだか,とにかくバカデカなオトコで,トーゼンその力もトンデモナイ.怒って暴れたら破壊しまくりだし,皆恐がって寄り付こうとしない.オマケに影では「でくのぼー」呼ばわりでバカにされる.そんな彼に一人だけ優しくしてくれる女性がいたんだけど,その女性は身分が低かったお陰で,不条理な殺され方をして死んでしまう.


怒りと憎しみと孤独と,とにかくメチャクチャに苦しみながら歩き回っていたら,瞑想中のブッダに出会い,言う.もう誰もオレなんか必要としていない,オレはどーすればいいんだ,お前修行者だったら教えろ,と.


問われたブッダが答える.お前は一人ではあり得ない,と.


世の中の全ての存在もデキゴトも,全ては何か別のものに依って生じている.お前もそうだ.お前は今まで自分以外の誰かや何かのお陰で生きてこれた.そして,お前に依って存在している誰かや何かもまたある.お前がいなくなれば,それらに何らかの不都合が生じるだろう.だからお前の存在は無意味ではない.


とまー,そんなカンジのコトを言うんだけどね,まあ「縁起」ってなそんなカンジ.


さて,次回は「諸行無常」だっ.