ワタクシの一例.

上記の記事において内田氏の言う「学ぶ」は,ワタクシが今ココでボスにベコベコに凹まされながらやってるおるような,「専門的な知識や技術を身に付ける」ということを意味していない.だから,「ソレだけじゃなく,○○だって『学び』だろう」という反論は単にコトバの定義に関する議論になってしまう.そーではなく,内田氏は「自分が何も知らなかったことに偶然出会い,巻き込まれるコト」がトッテモタイセツなんだヨ,と言ってるんである(たぶん).


大学時代,ワタクシは「国際企業研修」なるものを斡旋する学生主体のNPOに所属していた.研究者になろーと思って大学に入ったワタクシが,企業とか研修とか,ビジネス系のモンダイにキョーミを持っていたワケではマッタクナイ.そのNPOの国際性に惹かれたダケであった.何せ80ヵ国以上の大学に支部があって,大学同士の交流も,ケッコー盛んに行われておったのだ.


トコロガドッコイ.


大学二年になると,ワタクシはそのNPOの財務担当になっていた.スキ好んでなったワケではない.「他に理系の人間がいないから,頼む」とゆー,ズッコケるほどアリガチな理由である.


が,コレがケッコー楽しかったんである.


京大にある支部ダケでも,企業からの寄付金や,研修生・研修受け入れ企業から受け取る手数料を合わせると年間百万くらいの収入があって,予算の割り振りから簿記,決算の作成までやって,組織運営に関わる金の流れが,スケスケに見えたからである.最初は何も分からずに始めた財務だったが,だんだん費用対効果について考えるようになった.組織としてある活動にイクラの金を使って,イクラのリターンが返ってきたかってハナシである.例えば,研修生募集のためにセミナーを開いて,ソコから実際に研修に応募してくれた人が出たらオッケー,とかじゃなく,


応募者数×手数料≧セミナーに掛かった費用


じゃナイと,そのセミナーは失敗なんである.どーゆーワケかソンナコトを言い出した人間はワタクシが初めてだった(所詮学生による運営)らしく,大学三年になった頃には,他の支部の人間にも名前が知られるよーになってて,自己紹介すると「え,もしかして京都で財務やってる人ですか!?」とか言われたりもした.日本国内の支部が勢揃いする「国内総会」とかでプレゼンとかさせられてみたり.ワタクシのハナシに皆ウンウンと頷いてて,悪い気分はしなかった.


で,大学四年になるときにそのNPOからは引退したんだけど,あるトキ本屋で経済学の教科書を何気なく手にとってページを開いてみたら,ズッコケた.ワタクシが国内支部の委員長達に自信満々に力説していたのとマッタク同じ内容のハナシが…




1ページ目に書いてある ��( ̄□ ̄;)!!




1ページ目,つまり 前書き だったんである.本編にすら入ってナイのだ.キア.


さらにワタクシを脱力させたのが,ワタクシのハナシを聞いてウンウン頷いてた連中の殆どは,経済学部生だったとゆー事実である.アイツら大学でナニをベンキョーしてたんだってカンジである.


まーソレはさておき,コレをキッカケにしてワタクシは経済・経営学の本を何冊か買うコトになった.読んでみるとオモチロイし,ケッコー役に立つ知識もイッパイ詰まってる.が,そーやって経済を勉強するコトがデキたのは,ワタクシが例のNPOで財務とか担当するハメになったオカゲである.アソコで財務をやりながら,ワタクシは知らん間に経済学に「巻き込まれて」いたのだ.


その後もイロイロと知らないコトに出会った.心理学,哲学…最近巻き込まれたのは,「空の思想」と「相対性理論」かな.特にアインシュタインとか,最近までゼンゼン意味が分からなかったんだけど,「生命とは,負のエントロピーを食べているものである」とゆー分子生物の基本的定義をしたのがシュレディンガーとゆー「物理学者」だったコトを知り,そのシュレディンガーについて調べてたらアインシュタインが出てきて,相対性理論のチョットした解説を読んでタマげてしまい,今は同居人シンヤくん(天文学専攻)から「四次元の世界」とゆーブルーバックスを借りて読んでおるシダイである.


「自分の専門は○○だから」と言ってソレ以外のコトを「役に立たねー」とか言って見向きもせんよーなコトではイケナイよ,「知らないことを知る」,そして「自分がまだ何も知らないことを自覚する」とゆーのは,いろぉ〜んなイミで,とてもとてもタイセツなコトなのだ.ソレは結果的に大きなスケールで考えられるよーにしてくれるから.