やっぱり,「自分らしさ」ってコトバがキライだ

確固たる自分なんてものが,あるのだろうか.自分なんて,考えれば考えるほど曖昧になっていくモンじゃなかろーか.失敗しても,「自分は今までそうやって生きてきたのだから」と言って何も変えようとしない人を見ると,カワイソーな人だなと思う.それは,死ぬまで損をし続けるとゆーことだからだ.


今までそーやってきたからといって,コレからも同じような生き方をしなきゃイケナイ理由なんてドコにもナイ.


自分は今まで間違ってたのか?そーゆー疑いは,確かにツライ.自分の今までの人生を全て否定するような気がするからだ.それまでの人生が,ムダだったような気がするからだ.その感覚は正しいと思う.だが過去の自分を正当化し,変化を拒むのは「何もせずに済む理由」を探しているだけだ.


「お前はしっかりした自分を持ってるよね」とか言われることがある.その度にワタクシは苦笑する.ワタクシの「自分」なんてチョットしたコトで脆くも崩れるよーな,そんな"Fragile"なモノでしかナイと自覚しているからだ.そもそも,コドモ時代の自分と,今の自分が同じだなんて,どうして言えるのか.
ワタクシは過去に三度,自分の全てを否定して,そして変わってきた.コレからだって,今の生き方を否定しなきゃいけなくなるトキが来るだろう.そしてそれ以降の自分は,今の自分とはまた違っている.今の自分なんて,所詮そのときまでの「仮初の姿」に過ぎないのだ.ワタクシの言動に自信(ウヌボレとも云ふ…うふ)が感じられるとすれば,今日のワタクシが昨日のワタクシよりも一歩成長しているコトを,そして明日のワタクシは今日のワタクシよりまた一歩成長しているコトを目指しているツモリだからではないかな.それを繰り返しているだけでも,「自分」なんて変わっていってしまうもんだ.
40歳になれば,40歳なりの自分がいるだろーし,60になれば,60なりの自分がいるだろう.ドレも「自分」にはチガイナイと思うけど,それらはゼッタイに,同じではナイ.