仏教思想:唯識

このカテゴリー、久々の更新。今後もきっと、不定期更新(爆)。


ナーガルジュナは「あらゆるモノ・コトは空(くう)である」と言った。彼と彼の後継者は「中観派」と呼ばれたが、少し後になって新しい学派が誕生する。唯識派。日本に最初に伝わった仏教もこの唯識仏教だったりする。


唯識のシンボル的なホトケは弥勒菩薩ブッダの死から五十六億七〇〇〇万年後に、この世に理想の仏国土をもたらし人々を救うとされるホトケさんだ。京都太秦広隆寺にはチョー有名な弥勒菩薩半跏思惟像があるけれど、このもの思いにふけるような姿は、救済の時にいたるまで、理想の世界を深く静かに思索しつづけるホトケだからなのだ。で、この理想を求める弥勒菩薩を深く信仰したのが、聖徳太子だったの。で、彼は自分の理想を実現させるべく次々と新しい政策を打ち出していったのでした。とりびあ〜ん。


で、唯識の説くトコロはいかなるものや?中観派の思想を色濃く受け継いではいるが、彼らの思想の特徴は「現象世界の全ては空であるが、心だけは存在する」、とゆーコトである。
世界はヒトの心に映った幻のよーなモノに過ぎず、逆にその幻は心が作り出したモノである。そんなの当たり前って言われるカモだけど、唯識のスゴイトコロは、それが4世紀頃のモノであるにもかかわらず、ヒトの唯識仏教は、心の深層の利己心を徹底的に分析・記述しているコトで、正味現代の心理学も顔負けってカンジがするホドなのだ。そして利己心が利他心へと変貌していく可能性を示していたり。


とゆーわけで、次回からまた詳しく見ていくコトにすっぺ。


…続く