アメリカに行って変わったと 3

他人の幸福は望ましい。そしてそこに自分が関わっている必要は、特にない――。


この考え方は、オトシタカケラの続編、「土曜の午後」で書いた一日のことを通して、更に確かなものになった。「主体的に」或いは「積極的に」他人に関わろうとすることは、決してイイコトだとは言えないのである。


ワタクシはずっと、「romance」の頃なんかは特に、「自分の人生の主人公は、自分」だと思っていた。

今は少し違う。

ワタクシは実は、いくつものドラマを同時平行的に単に見ているだけなのだ。それぞれのドラマの主人公は、例の「彼女」であったり、悩める友であったり。そのドラマに自分がちょこっと出てきてドラマの筋書きに関わることもあれば、まるきりエキストラでしかないこともある。ワタクシの人生は、そういう沢山のドラマの集合体のようなものなのだ。
モチロン、ワタクシ自身が主人公である部分はある。実験や、今週の「内藤うぃーく」なんかは、ワタクシがワタクシ自身のために為すものである。だが所詮それらも、ワタクシの人生の一部を為す要素に過ぎない。先週「自分にとってイチバン大切ものは自分、というのは疑わしい」と書いたのも、そんなことを考えていたからである。