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結局、友人らとの会食からは早々に引き上げた。どちらにせよ、今夜のうちに車を運転して滋賀に帰らなければならない。車は母の住む秦野に置いてあった。新宿からその秦野に向かう小田急線に乗り換えても、あの言葉は消えなかった。


「もういっかい――」


病室。渋谷。あの違いは何だったのだろうか。若者が老人達から奪えるだけ奪って、コンクリートの中に閉じ込めているという短絡的な構図がすぐに浮かんだが、それを否定することもできなかった。あれだけのブランド品を買うのにかかるお金が、介護や医療の業界に投資されれば、事態は改善される気がした。行政が介護施設に多額の金を落とし、職員のインセンティブにも大盤振舞いすれば、事態は簡単に改善できる気がした。だが時代の流れは真逆を行っている。五十年後、自分があの部屋に送り込まれる時は、もっと絶望的な事態になっているかもしれない。だったら・・・


あんな最期を迎えるくらいなら――


母の家に着いて、車に乗り込む。これから東名と名神を走り抜けなければならない。夜の高速を走るとき、いつも思うことがある。自分は今日死ぬかも知れない、ということだ。事故は、自分が気をつけてさえいれば避けられるというものではない。金曜に滋賀から秦野まで走ってくる時も、トラックに並びかけた瞬間にそのトラックが車線変更を始めてヒヤリとした。アクセルを目一杯踏み込んで切り抜けたが、もしあのスピードで接触していたら、反対車線に飛び出していただろう。そこへトラックでもやってくれば、ワタクシの命など一瞬で消し飛ぶ。いつもならそんなことを考えて、気を引き締めるところなのだが、しかし、今回は、その考えが病室の風景と結びついてしまった。


人生の最期にあんあ病室に送り込まれるくらいなら、いっそ今夜消し飛んでしまった方がいいのではないか――


ムチャクチャだと思った。だが、反論することもできなかった。


…続く。