curse

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ベートーヴェンは人間的には、あまり参考にしたくない人物だし、事実一生を孤独に過ごさねばならなかった。自分の人生を「喜劇」と評したのも、その捻くれた性格ゆえの、精一杯の皮肉だったののかも知れない。だがそれを差し引いても、彼の言葉は一考、いや…

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ワタクシは、確かに、自分の人生を物語化する思考に嵌っていた。将来を期待された若者が、不慮の事故や病気で死ぬ。そして皆がその死を惜しみ、悲しみ、泣くシーンで幕となる――何とも、陳腐な物語だ。悲劇的な結末で終わる物語は、確かに観衆の感動や共感を…

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疲れた―― 死の誘惑に抵抗しながら、何とか滋賀の家に帰り着いたとき、もう気力も体力もほとんど残っていなかった。エンジンを切り、目を閉じながらしばらく座席にもたれたまま動けなかった。何とか無事に済んだことに安堵しつつも、まだ生きていることを素直…

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あんなところで、あんな状態で死を迎えるくらいなら、今夜死んでしまった方がマシだ―― 病室で感じた衝撃と、渋谷で感じた虚しさが、繰り返し、繰り返し、何度も、何度も襲ってくる。その度に、「どうせなら、今」という思いに益々引き摺りこまれていった。ふ…

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結局、友人らとの会食からは早々に引き上げた。どちらにせよ、今夜のうちに車を運転して滋賀に帰らなければならない。車は母の住む秦野に置いてあった。新宿からその秦野に向かう小田急線に乗り換えても、あの言葉は消えなかった。 「もういっかい――」 病室…

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駅から出て目の前に広がる風景を目にして、違和感の正体が分かった。 土曜の夜の、渋谷駅ハチ公口。待ち合わせをしている、途方もない数の若者。彼らが身に付けている、途方もない数のシャネルにヴィトンにグッチ・・・今までに何度も見てきた景色と何ら変わ…

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病院を出てから母と別れて、渋谷へ向かった。その夜は知人ら数人と会う約束があったのだ。余りに憂鬱だったのでキャンセルしようかとも思ったが、できることなら気分を変えたかった。 しかし中央線の座席に揺られている間も、声はずっと消えなかった。もうい…

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その部屋の光景を、拒否したかった。でもそれは、現実だった。こういうものか、と思った。最期とは、こういうものなのだろうか。結局人間は年齢と共に衰えて、行き着く先はこんなところでしかないのだろうか―― 血の気が引いていくのを感じた。血は下がってい…

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あぁ、あぁ、あぁ、あぁ・・・ 向かいのベッドの男性からは相変わらず苦しそうな声が聞こえた。いびきをかいて、眠っているように見える祖母に向かって、母が言葉を掛ける。 「お母さん、健が来たよ」 まるで反応がなかった。さっきまで漠然と考えていたこと…

3

都内でも無人の駅があるんだな、と思いながら眺めた街並みは、厭な感じだった。車もそこそこ走っているし、人気がないわけではない。だが立ち並んでいる家々はどれも同じような色と形で、寒々しかった。こういう地域に建っている病院に行くのかと思うと、気…

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電車に揺られながら、しかし、今から祖母に会ったのでは遅すぎると思った。祖母は倒れてからずっと昏睡状態が続いている。脳のダメージは進行するばかり。大脳がやられれば意識の働きもなくなる。それはつまり、「彼女の世界」が既に消滅してしまっているこ…

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日曜日の午後、母と二人で東福生の病院へ向かった。母の母、つまりはワタクシにとっての祖母が、先週脳梗塞で倒れたのだ。かなり太い血管が詰まってしまったらしく、既に脳組織の少なくない部分が壊死してしまっているらしい。容態の好転はあまり望めなさそ…