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疲れた――


死の誘惑に抵抗しながら、何とか滋賀の家に帰り着いたとき、もう気力も体力もほとんど残っていなかった。エンジンを切り、目を閉じながらしばらく座席にもたれたまま動けなかった。何とか無事に済んだことに安堵しつつも、まだ生きていることを素直に喜ぶ気分でもなかった。どうやら、どうしても超えなくてはならない疑問にぶつかってしまったらしかった。


ワタクシは今までに得た知識と経験から、幸福な人生を歩むことは可能だし、しかもそれは案外簡単なことだと思っていた。もちろん今でもそう思っていることに変わりはない。だが、「幸福に人生を終えるにはどうすればいいか」という問題については考えたことがなかったのだ。喩えは悪いが、どんなに美味しい料理でも、食後に出されたコーヒーが不味いと台無しになってしまう。青・壮年期をどれほど幸福に過ごすことが出来ても、最後の瞬間に病室のベッドで「もういっかい――」と呟かなければならない人生だとしたら、それは絶望的だとしか言いようがない。


どうすれば――


そこまで考えたところで、車を降りた。ずっと運転しっぱなしだったせいでフラフラする。家に入って、何となく冷蔵庫を開けると、釜揚げうどんが入っていた。それで少し腹が減っていることに気付いた。鍋を火に掛けてうどんを茹でる。茹で上がったらざるに空けて、鰹節と醤油を掛けてすすった。うまい、と思った。思いついて卵を割った。益々美味くなった。少し、力が湧いてくるのを感じた。もう一回。そう、もう一回・・・


「コレは美味い」と思いたい――。


あの男性の顔を思い出した。彼が「もういっかい」と言ったときの、突き刺されたような感覚が蘇る。だが、自分と彼とは決して同じではないのだ。


もう一回、これは綺麗だと思いたい。
もう一回、これは可笑しいと笑いたい。
もう一回、この女が好きだと思いたい。
もう一回、生まれてこれて良かったと、思いたい。


確かに人生に二度はない。だがワタクシの「この人生」の中ならば、まだ幾つもの「もう一回」が可能なのだ。


そう、まだ死ぬのは勿体ない――。


ふと視線を落として、苦笑した。高が一杯のうどんで元気になってしまう自分は、つくづく単純だと思った。


しかし危なかった。さっきまで自分の両肩には、死神が乗っていただろう。だが、とりあえず生きる原点に戻ってくることは出来たらしい。同時に、死神に取り憑かれた原因にも気が付いた。それは、人生を物語として捉えてしまったということだ。


・・・続く。