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ベートーヴェンは人間的には、あまり参考にしたくない人物だし、事実一生を孤独に過ごさねばならなかった。自分の人生を「喜劇」と評したのも、その捻くれた性格ゆえの、精一杯の皮肉だったののかも知れない。だがそれを差し引いても、彼の言葉は一考、いや熟考に値する。


悲劇は、物語の連続性が重要だ。悲劇における出来事の一つ一つには、関連性がある。少なくともあるように見える。そして破滅的な結末へと必然的に導かれてしまう。


喜劇は違う。物語の文脈を裏切らなければ、笑いなど生まれないからだ。あるいは喜劇は、観客が登場人物に感情移入することを拒否する。喜劇は登場人物の身に起こる不運や不幸を笑い飛ばす。悲劇では涙なしに見れないような出来事が、喜劇では笑いになる。その違いは、観客が登場人物を突き放して見ているかどうかなのだ。・・・


考えたいことがだんだんはっきりしてきた。死神は、自分で自分に同情する人間に憑いてくる。彼らの描く人生は悲劇的な物語だ。しかし自分を突き放して見るならば、それは喜劇に他ならないのだ。そして悲劇は文脈にそった「僅かな」出来事だけを重要視するが、喜劇は逆に、文脈から離れた出来事こそが大事だ。つまり、人生の出来事の「その他大勢」に注目しなければ、喜劇は生まれない。


それが出来れば、人生は単なる物語から、本当の人生に近づく、かな。だが――。


だがまだワタクシは、「どうすれば人生を幸福に終えることが出来るか」という問いには全く答えていない。病室と渋谷の間に感じたギャップを、ワタクシはまだ消化しきれていなかった。所詮どんなに喜劇的な人生を生きようと、あそこでは何の役にも立たない。まだ、何か決定的なものが、ワタクシの考えに欠けているのだと思った。しかし――


内藤さんのモットーって何ですか、と聞かれたことがある。ワタクシは「必要なことを、必要なときに、必要なだけ考えること」と答えた。そう、その問題は、あと五十年掛けて考えればいいのだから。


ワタクシはようやく電気を消して、布団に潜った。


・・・おわり。