それはボクじゃなかった

昨日の続きである.


ジイ様やその他の人物像を聞いて,ワタクシはぐらりと足元から崩れてしまいそうな感覚に襲われた.ワタクシの今の性格とカブるトコロが多すぎるのだ.


少年時代までのワタクシは内向的で口数が少なく,他人と会話することさえ苦痛に感じるほど閉じた人間だった.他人の目を気にして失敗を恐れ,自分から何かをするなんてとてもできない臆病者だった.


ソコから今の性格――開放的で社交的で,人目なんかほとんど気にせず,自分の欲求にストレートに行動するような――そういう性格に自分を作り変えてきたんだと思っていた.そーやって自分で自分を変えられるという点に少なからぬ自負を感じていた.


ところが,どうだ.ワタクシは祖父達のことを知らなかった.だから祖父たちのような性格をモデルにするコトなど不可能だった.それなのに,ワタクシが自分で作った,と思っていたワタクシの性格は彼らと同じ・・・だとすれば・・・

今の性格がワタクシの生まれついてのものであり,消極的で受身な生き方しかできなかった昔の性格は,親父の厳しすぎた教育やその他の生まれ育った環境によって形作られてしまった「制約」だったということになる.ワタクシが自分を作り変えた,と自負してきたことは何のことはない,ただ幼年期に植えつけられた「制約」を取っ払い,隠れていた本来の性格を掘り出したに過ぎないわけだ.


自分で,自分を,変えることができる――ワタクシにとってヒトツの自負心の拠り所となっていた足場は,こうして一瞬のうちに崩れ去ってしまったワケである.よくよく考えてみれば,どうしてワタクシが今の性格を「理想」だと思ったのか,その理由を説明できないのだから,今までの自信はますます疑わしい.


どうやら,ワタクシが今まで自負だと思っていたことは,自惚れに過ぎなかったようだ.そんなわけで,自分の中では所謂アイデンティティってヤツですか?そのバックグラウンドが引っ繰り返ってしまったワタクシである.外見的には何の変化もないかも知れないが,内面的には大事件・・・もう少しワタクシが若かったら,大事件になるトコロだった.


ワタクシの思考はしかし,すぐにまた展開してゆく.


とはいえ,生まれつきの性格が開放的だったか,内向的だったか,そんなことは今のワタクシにとって大した問題ではない.三つ子の魂百までとはよく言ったもので,喩え臆病な性格が生まれつきのものではなかったとしても,将来自分の中から完全に消え去ってしまうなんてことはないだろう.そして今の性格が自分の創造の結果ではなかったとしても,ワタクシは,そういう性格である今の自分が好きなのだ.しかも新たに身の程を知り,自惚れを解消できたのだから,それこそ喜ぶべきことだ.


しかしヒトツ,気をつけなければいけない.どうやらワタクシの属する内藤家の血筋を引く人間は,心の中に激情を宿している.チョット前にやったエゴグラム性格診断では,こんな評価を食らった.

合理的で判断力もしっかりしているが、感情量が豊富で好奇心も旺盛な為に、心の三要素である(意)(情)(知)の内の(情)の部分が他の二要素を圧倒凌駕しているタイプ.ギャンプルや男女の情交、酒、麻薬など、人が最も理性を失い易い領域で狂気や情熱が燃え盛り易く、生活の場を突き崩すほど大暴れする危険を秘めている。十二分の自制を心掛けるべき。


爆.・・・まあとにかく,もし祖父達のような生き方を地で行ってしまうと,身近な人間を次々と不幸に陥れていくハメになりかねない.今までワタクシは,自己を開放する哲学にばかり興味を持ってきたが,これからは「欲望をコントロールする哲学」を身に付ける必要がありそうだ.


やっぱり本は読んでおくものだ.必要なときに必要な言葉をスグに引き出せるのだから.明日はダレよりも自分に向けた「幸福考」を書いてみたい.