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クローゼットのハンガー掛けの高さは160cmほどしかない.そこにネクタイを掛けて首を吊ったというのは,尋常じゃない気がした.首が絞まった状態を維持するには,自分の意志で足を挙げ続けていなければならないからだ.


そこまでしても,死にたかったのか――


確かにエヴァンは仕事をクビになり,金に困っていた.それでも週に一度,家の掃除をするからという条件で大家さんに家賃を月100ドルにしてもらっていたし,飢えるほど悪い状況にあったわけでもなかった.毎日テレビを見てゲラゲラ笑っていたし,僕の顔を見れば「Hey, what's up man!」と,これぞアメリカン,という陽気さで声を掛けてきた.自殺しそうな奴には見えなかったのだ.
いや,彼が何らかの精神的な障害を抱えていたのは確かだった.そのせいで次の職がなかなか見つからなかったかもしれない.でも,それだけの理由で,人は足が付く高さで首を吊ることができるのか?苦しさの余り反射的に体が死を拒否するような状況で・・・


なぜ,と言う僕に向かって,カリールは言った.


「Because he wanted a revenge agaisnt his parents!」


復讐・・・親への・・・?


「They didn't take any care of him. They knew he had some mental problem. They knew he lost his job. But we have never seen his father. Never seen his mother! It was his parents. They killed him!」


そう言われて,二ヶ月ほど前の出来事を思い出した.僕とカリールとユウリがキッチンで話をしている時に,エヴァンがやって来た.いつもはヘヘヘと笑いながら,やかましいくらいあれやこれやと喋りまくる彼が,眉毛を八の字にして僕らに頼みごとをしてきた.


「ダディが小切手を送ってくれたんだけど,メリルリンチ銀行はこの街になくて,これを換金するにはここの銀行に口座がないといけなくてさ.振込みならどんな銀行でもできるけど,オレ,銀行口座持ってないし・・・で,キミらはバンクオブアメリカに口座持ってるだろ?オレがこの小切手の裏にサインすればこの小切手はキミらに譲ることができるから,これを口座に振り込んで現金を引き出して,それをまたオレに渡して欲しいんだけどさ….誰か明日銀行に行く奴はいないかい?」


ま,引き受けてやるよ,と言って僕は小切手を受け取ったが,金額を見て驚いた.40ドルだったのだ.


40ドル.たったの,40ドル――


仕事を失くして収入のなくなった息子に,父親が送る資金援助の金額としては,余りにも少ない感じがした.いや,家がそれほど裕福でないなら,そんなこともあるだろう.だが,彼の両親はどちらも大学教授のはずだ.金に困っているとは考えられない.


軽度ではあるが精神に障害を持ち,大学は出たものの,職も得られず社会的適応性に問題がある息子を,彼の両親は遠ざけた.収入がなく,親からまともな援助も貰えない.「そのうちこうなると思っていた.」と,アヌーもユウリも口を揃えて言った.


それから,少し前に,大家さんと話をしていたら,エヴァンの話になったことを思い出した.大家さんはもう90を超えたお婆さんで,買い物のときなんかはよくエヴァンが運転手をしていたらしい.エヴァンは車を運転しながら,こんなことを言ったそうだ.エヴァンの両親はどちらも大学の教授をやっているほどの人物だが,結婚と離婚を繰り返してきたのだと.「家に帰る度に,顔の知らない弟や妹がいるんだ.本当に奇妙な感じだよ」と.


・・・続く