正義について.

「正義」という考えを心理的に分析すれば、理性的に認められそうもないものであると私には思える。
正義は不正と一緒に取り上げるべきである。一方を強調し、他方を見逃すことはできない。
実際において「不正」とは何か。それは群集の嫌う行為である。不正と呼ぶ考えの中心に念の入った倫理体系を投入し、その嫌悪する対象に罰を加えて、群集は自己を正当化しているのである。

――バートランドラッセル――


上記の話とあまり関係ないが,何となく意識がそういう方向に向かったので以下の文章も書いておく.

「寛容さ」というものについての議論がある.例えば「外部の人間に対して寛容な社会を作るべきだ」という意見に対して,「では『非寛容』に対しても寛容を通すのか」という突っ込みが入ることがある.これは寛容を主張する意見の矛盾を突き,その根幹を揺るがすことを意図するものだが,残念ながらこれは議論のレベルを誤ったものなのである.
非寛容な集団を内部に抱えてしまうと,その集団は共同体内の他の集団を排斥する.それでは当初の目的であった「寛容な社会」はもはや実現不可能となってしまう.したがって,寛容を目指す場合は,非寛容に対しては非寛容で応じることを厭う必要はないわけだ.